子夫人の弟君に当られます。なお、夫人の妹君には九条家に※[#「糸+壬」、第3水準1−89−92]子《きぬこ》姫がいられるのでした。ことに、良致男爵へ武子姫が、なおまた鏡如様の弟君の惇麿《あつまろ》様(光明師)へ※[#「糸+壬」、第3水準1−89−92]子姫が、御縁づきになりますことは、籌子夫人御自身の深いお望みなのでした。その暁には、九条家と大谷家との御兄弟が、互にお三方《さんがた》とも御結婚になり、両家にとりてこの上のお睦《むつ》みはないのでした。
籌子お裏方《うらかた》より直接のお諮《はか》りを受けまして、重職の人々は、九条良致男爵を、初めて選考の会議に上すようになりました。それまでは、子爵以上とのみ考えていたのです。
[#ここで字下げ終わり]
なぜ、子爵だ、男爵だというのか、それは前に、東の御連枝という人を、無爵だといって断わったからで、男爵というのに拘《こだ》わるのも、それでは男爵になれるようしますからとまでいって来たのを、すくなくも子爵でなくてはと拒絶したといわれているのを、わたし自身が頷《うなず》くために、引いてみたのだが、良致氏は前から男爵ではなく、武子さんを娶《めと》る前になったのだった。
良致氏はお気の毒な方《かた》で、やったり、とったりされた人だった。ずっと前に他家へゆかれ、それから一条家の令嬢の婿金《むこがね》として、養われていたが帰されて――やっぱりこれも例をひいた方がよいから、山中氏の前のつづきを拝借すると、
[#ここから2字下げ]
――かつて一条公爵家の御養子として、暫《しばら》く同家に生活していられました。それは、元来一条家よりの懇《ねんご》ろなお望みがありまして、御結縁《ごけちえん》になったのでした。しかし、家風《かふう》の上から、その後《のち》、男爵は再び九条家へ、お復《かえ》りになったのでした。(前掲一七四頁)
[#ここで字下げ終わり]
なぜ、この山中氏の著書からばかり引例にするかといえば、材料の蒐集《しゅうしゅう》に、『婦人倶楽部』の多くの読者と、武子さんの身近かな人々からも指導と協力を得ているといい、筆者はもうすにおよばず、発行が、野間清治氏の雄弁会出版部であり、およそ間違いのないものであること、著者の序に、初校《しょこう》を終る机のそばに、武子さんが、近く来《きた》りていますように感じつつ、合掌、と書かれた敬虔《けいけ
前へ
次へ
全22ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング