を見直すくらゐデリカなものです。
[#地から2字上げ](「婦人公論」昭和四年)

        女と鏡

 ある折は、水をのんだコツプにうつる生々《いき/\》した愉快な顏――切子《きりこ》の壺に種々な角度からうつるのも面白い。さし出された給仕盆《おぼん》にうつることもあり、水面《みづ》にうつして妙な顏をして見ることもある。食べものを運ぶホークに、二本の筋のある斷片的な鼻と口とがうつり、齒が光ることがある。それより面白いのは小さな匙に、透明な液體とともに掬《しやく》ひあげた小人《こびと》の自分の顏。どれもあんまり美しいものではない。しかし、ものを書きつづけた夜の顏が、朝の光りに、机や窓硝子にうつつた時のあじきなさは、シヨーウインドに突然くたびれた全身を映照《てら》しだされたをりの物恥《ものはぢ》と匹敵する。
 私もよい鏡を持ちたいと思つた事もあつたが、それは趣味の時もあり、心の守りといふふうに思つたをりもある。今日の考へでは、脂粉のいらぬ年齡《とし》になつても、正《たゞ》しく恥ない日日を送るために入用だと思つてゐる。我心の正邪を、はつきりと、心の窓の眼から覗くことが出來るのは、凡人には
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