一門の、新しい劇研究の「狂言座」を結成した。帝国劇場での第一回公演には坪内逍遙先生の新舞踊劇「浦島」をさせて頂くおゆるしをうけた。森鴎外先生には「曽我」を新しく書いて頂いた。第二回には、木下杢太郎氏の「南蛮寺門前」を中沢弘光氏の後景、山田耕筰氏の作曲でやった。吉井勇氏の「句楽の死」は平岡権八郎氏に後を描いて頂いたりした。
あたしはまっしぐらに、所信のあるところへ、火のような熱情をもって突きすすんでいった。
だが、母の打撃は見てすごされなかった。それに実家では、弟の若い嫁が、赤ん坊を残して死んだ。あたしの手にそれは受けなければ、残された子は死にそうなほど弱かった。それに、も一つ、三上は恋愛を申入れてきかない。それに自分の方へ引っぱってしまおうとする。あたしは、家庭婦として、あっちこっちに入用になって、引きちぎれるように用をおわされた。
それを振りちぎったらば、今日、もすこしましな作を残しているであろうが、父のことに対して、心に植えた自分自身との誓いは頭を持上《もた》げて、まず、人の為になにかする[#「。」の脱落はママ]
そうして、すべてを捨ててかえり見ぬこと幾年? 昭和三年に「女
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