すこしばかり、其処を手に入れる時に、お金を用立てた人が死んで、その後家たちは、新橋で旅館をもとからの商業《しょうばい》にしているので、丁度引受け手を探していた、箱根塔の沢の温泉をゆずってもらって、経営しはじめた。
馴れないことではあったが、母は働きずきであったし、客あしらいも知っているのに、父のまがつみを同情する知己の贔屓もあって、温泉亭家業は思いがけないほど繁昌した。それだけに、母も漸く、女も何か知らなければ、こんなことしか出来ないと悟った。かような家業でなければ子供を教育しながらでも出来るのにと、それは、ひしひしと彼女に後悔に似たものを思わせて、あたしを、今度は以前とはあべこべに大事にしてくれ、もはや、家を出てくれるなと言い出した。
あたしの自立は、また此処で一頓挫しなければならないことになった。しかし、書いたものは、歌舞伎座や新富座などで、一流中の一流俳優によって上演されるのがつづくようになった。女流劇作家も他にいなかったし、女流の作が劇場外からとられるのも最初だったが、どうしたことか、絵ハガキなぞも上方屋《かみがたや》から売り出されたりしたので、母はいよいよ悦ばされ、袴をは
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