が出来てくる宿命に生まれついてでも居るようだが、いって見れば畢竟は努力が足りないのだ。断わっておきたいのは、日に日に進歩した女子教育とは、およそ反対の歩きかたであったので、これが明治女学勃興期の少女の道と思ってもらいたくない。きわめて歪んだかたちなのだ。女流小説家として有名な、故一葉女史は、その前年明治廿八年末に物故されている。
三
そこで、生活は一変したが、婚家では困ったお嫁さんをもらったのだった。陽気な家のものたちは、あからさまに言った、水に油が交ったようだ、面白くない、みんながこんなに楽しく団欒して食事をするのに、この娘《こ》は先刻《さっき》から見ていると、一碗の飯を一粒ずつ口へはこんで、考え込みながら噛んでいる――貧乏公卿の娘でもないに、みそひともじか――お姑さんはあられげもなく、そっと書いたものを見つけると、はばかりへ持っていって捨ててしまう。
病気がちなあたしは、芝居のお供、盛り場での宴席、温泉場行きもみんな断わって留守番を望んだ。出入りの貸本屋にお金を出して新本をかわせ、内密《ないしょ》で読んで、直きにやってしまうので、彼は注文次第で、どんなむずかし
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