っと早く奉公に出されぬ前、祖母が死ぬと直きに、弟をねんねでおんぶした仲働きが、人形町までといって出た、あたしの買いものの供に付けて出されたが、この女中は二十歳《はたち》を越していて、何かよくわかったから、却って道案内をしてくれて、神田小川町の竹柏園の門に立ったことがあったのだ。まだお若かった佐佐木信綱先生と、新婚早々の雪子夫人は、その時、花簪を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]した、ちりめんの前かけをしめていた、あたしの姿を今でも時々おっしゃる。
さて、入門したといっても、こっちがしたつもりだけで、実のところ、束脩《そくしゅう》もおさめたやら、どうやら、福島の人で、あたしたち姉妹を可愛がってくれた、あまり裕福でない、出入りの夫婦にたのんで、榛原《はいばら》で買った短冊に、しのぶ摺りを摺ってもらいにやって、それが出来て来たのを、十枚ばかりおみやげに持っていったのが、ありったけの心持ちだったのだ。ずっと帰って来てからは、大胆になって、かまわずに稽古日には朝から出かけた。もとより本はないから、先生のうちの玄関の、欄間までギッシリ積んである本箱の上から出
前へ
次へ
全39ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング