と一緒に、祝着申しますとあたしに悦びを述べた。
だが、決心はついた。自由を得る門出《かどで》に、と、あたしは寒い戦慄のもとに、親のもとを離れる第一歩を覚悟した。昔の人が厄年だという十九歳の十二月の末に、親の家から他家へ嫁入りとなって家を出た。嫁にやられるには違いはないが、あたしは円満に親の手を離れる決心であった。だから、途中からでも逃げたい気持ちだったが、父の恥を思うと躊躇させられた。それにまた、華々しいほどの出入りの者にかこまれて、身動きも出来ない羽目となっていた。母は、さすがに、子の心は察しがつくと見えて、紙入れをもたせなかった。一銭の小遣いもわたさなかった。
以上が、明治十二年末から、二十年の末までの、東京下町の、ある家庭の、親に従順な一人の娘の、表面に現われない内面的生活争闘史である。以下は、彼女が、彼女自身で、茨を苅りながら、自分の道へと、どうにかこうにか歩き出して来た道程であるが、はじめから本道を歩きださぬ者には、よけいな道草ばかり食って、いくらも所念の道は歩いていない。振りかえって見るのも嫌なくらいである。あたしはまっしぐらに、おもてもふらず行こうとすると、きっと障碍が出来てくる宿命に生まれついてでも居るようだが、いって見れば畢竟は努力が足りないのだ。断わっておきたいのは、日に日に進歩した女子教育とは、およそ反対の歩きかたであったので、これが明治女学勃興期の少女の道と思ってもらいたくない。きわめて歪んだかたちなのだ。女流小説家として有名な、故一葉女史は、その前年明治廿八年末に物故されている。
三
そこで、生活は一変したが、婚家では困ったお嫁さんをもらったのだった。陽気な家のものたちは、あからさまに言った、水に油が交ったようだ、面白くない、みんながこんなに楽しく団欒して食事をするのに、この娘《こ》は先刻《さっき》から見ていると、一碗の飯を一粒ずつ口へはこんで、考え込みながら噛んでいる――貧乏公卿の娘でもないに、みそひともじか――お姑さんはあられげもなく、そっと書いたものを見つけると、はばかりへ持っていって捨ててしまう。
病気がちなあたしは、芝居のお供、盛り場での宴席、温泉場行きもみんな断わって留守番を望んだ。出入りの貸本屋にお金を出して新本をかわせ、内密《ないしょ》で読んで、直きにやってしまうので、彼は注文次第で、どんなむずかし
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