よい、揃って覇気《はき》のある、若い役者の大役を演じるところだった。そこに、後に工左衛門となった、市川|鬼丸《きがん》という上方《かみがた》くだりの若い役者がいて、唐茄子屋《とうなすや》という、落語にもよくある、若旦那やつしが、馴れぬ唐茄子売をする狂言が当って、人気が登って来たが、坊主頭の女隠居がついているというので、大変やかましい取り沙汰になった。その当時、そうしたみだらごとで、女隠居の名が新聞に出るということなどは、この物堅い大店町では、実際たいした内面暴露なのであったが、ものに動じない女隠居は、資産《かね》のあるにまかせて、堀留から蠣殻町まで、最も殷賑《いんしん》な人形町通りを、取りまき出入りの者を引きしたがえて、廓《くるわ》のなかを、大尽《だいじん》客がそぞめかすように、日ごとの芝居茶屋通いで、世間のものを瞠目《どうもく》させたのだった。男|妾《めかけ》――いやな字だが、そんなふうにも書かれた。男地獄《おじごく》――そんなふうにも言われた。だが、幼いものには、なんのことだかわからないが、憎々しい坊主女だとは思った。
 このお婆さんが、人もなげな振舞いを、当主がどうして諫《いさ》められないのかといえば、実子ではなかったのだ。二人生んだ子を、二人まで死なせてしまって、養子をしたのではあり、このおばあさんと、死んだ連合《つれあい》とが、前にいった大長者格の呉服問屋、丁吟《ちょうぎん》からのれん[#「のれん」に傍点]を貰って、幕末明治のはじめに唐物屋を開いたのが大当りにあたって、問屋まちに肩をならべ、しかも斬新《ざんしん》な商業だけに、横浜の取引、外国人との接触などで、派手であり暮しむきも傍若無人な、金づかいのあらいものだったのだ。
 おばあさんは頭のおさえ手がなく、鼻息のあらいのは、その辺の御内儀とちがって、成上り者だったのだ。この女は、生れたのが葺屋《ふきや》町――昔の芝居座の気分の残る、芸人の住居も多く、芳《よし》町は、ずっとそのまま花柳《かりゅう》明暗の土地であり、もっと前はもとの吉原もあった場処ではあり、葺屋町は殷賑なところで、そこの古着屋の娘に生れた、おつやというのがそのおばあさんの名だったが、役者買いと嫁いじめで、人よんで「鬼眼鏡」と綽名《あだな》した。
 その女が若い盛りに、杉の森の裏小路で、長唄のお師匠さんをしていた時分、若い衆であったお店《たな》
前へ 次へ
全11ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング