々緋《しょうじょうひ》の巾着《きんちゃく》は、おなじく将軍火事|頭巾《ずきん》の残り裂《ぎ》れだという。その時の将軍は十一代徳川|家斉《いえなり》であろう。奢侈《しゃし》を極めた子福者、子女数十人、娘を大名へ嫁《か》さした御守殿《ごしゅでん》ばかりもたいした数だという。後に大御所とよばれ、徳川幕府をひへいさせた近因だともよばれたほど、派手な時世だった。
アンポンタンはこの祖父《おじいさん》の歿後《ぼつご》、母が嫁して来たので、生きていた日は知らないが、善良な小市民の見本であったらしい。長い間には、気がさな細君に、どんなにハラハラさせられたかしれないであろう。水野|越前《えちぜん》の勤倹御趣意《きんけんごしゅい》のときも、鼈甲《べっこう》の笄《かんざし》をさしていて、外出するときは白紙《かみ》を巻いて平気で歩いたが、連合《つれあい》卯兵衛が代ってお咎《とが》めをうけたのだ。
小りんさんが卯兵衛|旦那《だんな》の、浮気の穴を探しだしたゆきさつは面白い。初春のことで、かねて此邸《このうち》だと思う、武家の後家《ごけ》の住居をつきとめると、流していた一文|獅子《じし》を引っぱってきて、賑わしく窓下で、あるっかぎりの芸当をさせ、自分は離れた向う角にいた。近所からあつまった見物や子供たちはよろこんで騒ぐので、思わず卯兵衛さんが顔を出し、目的の女も顔を見せた。そこで騒ぐのでも訪れるのでもなく、小りん女房はニッコリと帰って来てしまうという手だ。卯兵衛さんの閉口したことはいうまでもなかろう。
二人の間に二人の男の子があって、上は(前出テンコツサン)出走人となってしまった。わたしの父はいたずらッ子で、お母さんを困らせようとして、叱られたときに、大事にしていた長吉人形の前髪と、奴《やっこ》さんと、ジジッ毛を、鋏《はさみ》ではさんでしまった。大きくなってからも、両親が蔵の縁の下に、金を埋てあるのを、いつの間にか虎太郎五十両拝借と書いた、附木《つけぎ》一枚を手形がわりにして持っていったりしたことを、風通しのよい、青い林檎《りんご》の実ったのが目のさきにある奥二階の明り窓のきわで、小粒《こつぶ》や二朱金《にしゅきん》を金盥《かなだらい》で洗ったり、糠《ぬか》袋のような小さい麻の袋に入れかえるとき、そばにかしこまっているアンポンタンに、
「いたずらもせぬような男の子はだめだ。」
というふう
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