この人の正体がやっとわかった。女形だったのだ、旧時代の遺物そのままに育てられて、久しく阪地へいっていた俳優だったのだ。東京の水になれないので、むかしのままのお坊ちゃんで、とお師匠さんはある時いっていた。お金ちゃんの説明によると、
「曙山さんは女の通りに育てられたのよ。けど、ほんとは女かもしれないわ。裁縫《おしごと》もよくするし髪も巧者《じょうず》に結うし、なんでもかでも女の通りよ。だけど男だっていうの、女の通りに育てられた男だっていうの。こんど来たら、なんだか男と半分半分になっちゃったけど、もうせんには、ほんとに女だったわ。だから、おッしょさんも、女のお弟子さんとおんなじだって――」
 そしていった。この間も、新富座《しんとみざ》へ乗込みのときは、以前《せん》の通りに――鬘《かつら》だったけれど――楽屋下地に結って、紫のきれを額にかけて、鼈甲《べっこう》の簪《かんざし》をさして、お振袖で、乗組んだのだと。
 あたしは気味がわるいと思った。どうしたって、あの大きな黒い顔は、そんな、花やいだ、たおやかさを思わせはしなかったから――
 ともかくこの人は、結局女ではなかったのだ。でも、その後、時々面白い笑話がきかされた。
 盲目《めくら》の坊主頭のお婆さんが死んで、その法事《ほうじ》のかえりに、浅草|田圃《たんぼ》の大金《たいきん》(鳥料理)へいったらそこの人たちが、どうした事か、家業柄にもにず、この女形を完全に女にしてしまって、御後室様《ごこうしつさま》御後室様と、お風呂まで女風呂へ案内したとか――
 またそののち、曙山さんの名を養家へかえしてしまって、市川の門下になった。時勢はいつまでも彼を娘と見るような甘いものでもなく、彼もまた薹《とう》のたった女男《おんなおとこ》になってしまったが、娘ぶりより、御後室の方がまだしも気味わるくない。新富町の露路裏に、男役者と、やもめ二人が同居していたが、そんな時、彼はすっかり世話女房だった。片っぽが帰らない朝なんぞはブツブツいって女中と一緒に働いていた。
 ある朝、片っぽの男に捨られた女が、勢い猛に押寄せて来た。彼女は、昨夜《ゆうべ》、自分の情夫《おとこ》が他の女《もの》と一緒にいたことを耳にして、大変なけんまくで駈けこんで来たのだ。彼女は下駄もはいたままで座敷へ飛込みかねない物凄《ものすご》い有様だった。あたしを差おいて――と彼女はいった。彼女は彼の家の火鉢の前に座るべき正妻の権利を第一にもちうるものは自分だと信じてるのだ。だから障子をガラリとあけた。
「どなた――」
 ぼやけた声がする。
 はて! 女もさすがに躊躇《ちゅうちょ》した。
「あたしです。」
「あたしって、どなた?」
 彼女は、自分の位置であるべきもののような問方《といかた》をするのが小癪《こしゃく》にさわった。けれど、来たわけをいわないわけにはいかない。
「××さんはいませんか?」
「ええ、まだ帰らないんですよ、あきれっちゃうじゃありませんか、何処《どこ》をウロウロしているのだか。」
 女はギクリとして障子の中を覗《のぞ》いた、そこには、姐《あね》さんかぶりの後むきが、小意気な半纏《はんてん》を着た朝の姿で、たすきをかけて、長火鉢《ながしばち》の艶拭《つやぶき》をしていた。
「まあ! あなた、おかみさん――」
 女は、しどろな言葉で挨拶《あいさつ》して、来た時の勢いとは、くらべものにならないしょげかたで、どぶ板に、吾妻下駄《あずまげた》の音を残して帰っていった。
 なんだろうまあ、あの女は折角来たのに、用向きもいわないで――と思っていると、
「おおこわ、こわ!」
といって、同居の片っぽが帰って来た。そして、姐さんかむりの仲間を見ると、フッと吹出して、
「おかみさんがいるのに、なぜ、いわなかったってたぜ。」
といって、カラカラ笑った――
 いまこの人は老女役《ふけやく》になって、生れ土地の関西へ帰っている。

 久松町の千歳座《ちとせざ》が焼けて、明治座が建つと、あの辺は一体に華《はな》やかになり、景気だった。芝居小屋がやけて芝居小屋がたつのに、そんなかわりがあるかといいたいほど代った。明治座前に竈河岸《へっついがし》へかけて橋がかかった。川を離れてその橋じりへまで、芝居茶屋が飛んで建ったほどだ。明治座は橋にむかった角で、芝居茶屋は右手に並んでやまと、はりまやと五、六軒、通りをへだてた横に日野屋さぬきや六、七軒、楽屋口うらに中村屋が一軒、みんな大間口の素晴《すばら》しい店だった。茶屋は揃って、二階に役者紋ぢらしの幕を張り、提灯《ちょうちん》をさげ、店前《みせさき》には、贔屓《ひいき》から役者へ贈物の台をならべた。劇場の表飾りもまけずに趣好をこらし、庵《いおり》看板をならべ、アーク燈を橋のたもとに点《つ》けたので、日本橋区内に
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