》から蹴《け》出されると、緋《ひ》ぢりめんだったり、薄紫ちりめんだったりした。黒ちりめんに加賀紋の羽織を着て、風呂敷ほどの絹半巾《きぬはんけち》を鼻からまいて、車からおりると、
「おッしょさん――」
て鼻声を出して、踊るように袖をバタバタさせて、
「おお寒む寒む、はよう温かいものでもおくれ。」
と妙に甘ったれた調子《アクセント》で太い声を出した。
 みんなが羽根や手鞠《てまり》をついていると、
「わたいも、つこ。」
と仲間になる。
「さあ、あんたはん、あげますウ。」
と器用に、なんでも巧者《じょうず》だ。
 アンポンタンは思った。この女《ひと》は、どっか大きな家《とこ》の娘で、病気――ばかのようなので、髪を断《き》らして遊ばせてあるのだろう、だから、あんなに無作法《ぶさほう》なのだと――そう思えたほど、堅気《かたぎ》の娘たちとは調和しない奔放《ほんぽう》さがあった。
 その人は斬髪《ざんぎり》だった。だが、その女の人が、なんで田之助の俳名と関係《つながり》があるのかがわからなかった。あたしの解釈では、くさ草紙の人物、環菊のお田之《たの》さんのように、これは生きた人間が田之助ぶっているのだろうと思った。しかし、環菊のお田之はそれは美しい女に描いてあるが、曙山という女は汚らしかった。だから言った。
「あの女《ひと》、気狂い?」
 すると、お金坊は金切り声を張りあげて、
「おッさん、曙山さんのことを気狂いかって!」
「悪い子がいるね、誰がわたしのこと気狂いというた。」
 太い声がモッタリといって、こっちを振りかえった。
「あの女の人、黒い汚ない顔だって。」
「フン、黒うても白うなる、白粉《おしろい》つけて美しうなって見せてあげる。――金坊、おッさんに白粉《おしろい》だしてもろうとくれ。」
 あたしは怖気《こわげ》だった。気狂いが、白粉をつけだしたりしてどうなるのかと――
 丸い手鏡を片手に持って、白粉刷毛《おしろいばけ》でくるくる顔をなでまわしていた曙山さんは、傍らにいるおもよどんや、お金ちゃんを顎《あご》でつかって、紅《べに》をとれの、墨をかせのと、命令するように押《おし》つぶした声で簡単にいいつける。
「その手拭《てぬぐい》をおよこし。」
 鏡台わきの手拭かけにあった白地に市川という字が手拭一ぱいの熨斗《のし》の模様になって、莚升《えんしょう》と書いてある市川左団次の配り手拭をとらせると、上手に姐《あね》さんかぶりにして、すっと立上ると、
「おッさんの寛袍《どてら》をもっといで。」
と自分の帯をときだした。
 あたしはとんでもない事をいってしまったとしょげていたが、廻りの者はゲラゲラと笑って面白がっている。
 曙山さんという人は、わざとらしく怒りっぽく、
「お腹《なか》がすいとるのに、みな面白そうに笑ってからに、わたしばかりこんなことさせて――おごらんかったら怒る。」
「どういたしまして、これこの通り、ちゃんとお仕たくはしてござります。」
 おもよどんはそんな事をいって、大きなお膳の上にのせたおすしの大皿と、もひとつの高脚膳《おぜん》にのせたものをはこんできた。その上には酒徳久利《さかどっくり》ものっている――
「では、まず一ツ――」
 曙山さんは立ちながら腰をかがめて、お猪口《ちょこ》でなく、そばの湯呑《ゆのみ》をとってお酒をついで、ごくごくと飲みほした。
 あたしはまた溜息をついた。おしょさんはなんでだまって煙草《タバコ》なんか長い煙管《キセル》からのんき[#「のんき」に傍点]にふかしてるのだろう――
 と思いがけずおしょさんがこんなことをいった。
「お前さんがそうやってると白糸《しらいと》がよさそうだね。」
「あたしもそう思う、鈴木|主人《もんど》をつきおうてくれるものがあれば――」
「川崎屋(市川権十郎)ならいいけれど――」
 曙山さんは、ふと、アンポンタンを見た。
「あの子がわたしのこと気狂というたのやろ、ほんに無理もないこと。これ御覧、綺麗《きれい》な長じゅばんだっしゃろ。」
 姐さんかぶりの曙山さんは、褄《つま》をあげて見せたが、
「よい事がある。」
といって着物を脱いでしまった。下には薄紫に遠山紅葉《とおやまもみじ》の裾《すそ》模様のあるちりめんの長じゅばんを着て、白はかたの細帯をまいていた。
「この上へお着せ。」
 おもよどんが、紅絹裏《もみうら》の糸織《いとおり》のどてらを長く上にかけた。
 曙山さんは懐紙《ふところがみ》で顔をあおぎながら立膝《たてひざ》をして、お膳の前の大ざぶとんの上に座り直した。
「さあ、みんなおすしおあがり。」
 おそろしく横柄だった。あたしはかつて他人から、そんな風に声をかけられたことがなかったから、いよいよ気狂いだと思った。けれどみんなは、嬉しそうに、楽しそうに、ゲラゲラ笑っていた
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