わた》島田の上にかけているので、白木屋お駒という仇名《あだな》だった。山口屋――本問屋――のお駒ちゃんは八百屋お七――お駒ちゃんの妹の幸《こう》ちゃんは実にぱっちりした、若衆だちの顔つきだった。天野さんの――化粧品問屋――×さんはおとなしく、金物問屋のおぬひちゃん、袋物問屋のおよしさんその他の人たちも醜いのはなかった。
高い脚立《きゃたつ》をかついで駈《かけ》てきた点燈屋《てんとうや》さんも、立止ってにこついて眺めている。近所の人たちはいうまでもない、通行の人たちも立止っている。そんな時、おしょさんはどんなことを思っていたろうか、いつか、こんなことをはなしたことがあった。
「あたしは十五の時お母さんに叱られたことから、ふと死にたくなって、矢の倉|河岸《がし》(大川端)に死ににゆこうとしたら、町内の角に木戸口があった時分のことでね、急いでゆく前にぱたん[#「ぱたん」に傍点]と立ちふさがったものがあるので、怖々《こわごわ》顔をあげてみたらば、男の首くくりがぶらさがっててね、あっと思ったとたん死神がどこかへ飛んでしまって――」
「その時、おしょさん、どんな姿《なり》してた?」
何でも訊《き》きたがる私は、話にぶらさがるようにきいた。
「ゆいわたに結って、黄八丈の――あたしゃ、まあいやだよ、いい気になって……この子はいけない子だ。」
ふと、その頃の自分とおんなじような、年頃の娘たちをあずかっている事を思出したのだろう笑ってしまった。
だが、その娘さんたちに交って、娘のような、娘でないような人がひとりいた。お金ちゃんにきくと、アンポンタンが知る前に阪地《かみがた》へいった人なのだそうだ、曙山《しょざん》さんていうのだといった。
曙山という名は、アンポンタンにも新しいものではない、まさかに子供でも、錦絵の智識から羽左衛門《はねざえもん》かとか尾上梅幸《おがみうめゆき》とかよぶようなこともしなかったから、曙山とは、沢村田之助《さわむらたのすけ》の俳名《はいみょう》だと知っていた。幕末頃のくさ草紙には、俳優田之助が人気があったからか、小意気《こいき》な水茶屋の女なぞに環菊《かんぎく》のお田之《たの》とかなんとか書いてあったほどだから、俳名の曙山も目からくる文字の上でのおなじみだった。
その女《ひと》は黒い顔で、大きな鼻で、体はグニャグニャとしていた。長じゅばんが褄《つま
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