が参酌されたものと思われる。九代目市川団十郎が『忠臣蔵』の大石|内蔵之助《くらのすけ》で、山科《やましな》の別れに「冬の恵《めぐみ》」を奏《かな》で、また四国旅行の旅土産《たびづと》に、「三津の眺め」の唱歌をつくったので、一層評判になった。宣伝にも抜目はなかったのであろうが、通人《つうじん》である芦船は、求めずしてその道の人たちとも社交《まじわり》があったので、むしろ団十郎の方が、新しい思いつきとして、または自分の好きな道を舞台にとりいれたのかもしれない。片岡仁左衛門も大石をすると二絃琴を弾いたが、調子がととのわないのが耳についた団十郎もしきりに調子を直し直し、芝居が楽になったそうである。
 二絃琴の調子は、糸がたった二筋《にほん》だから単純でいて、そのくせ複雑だ。一体二絃琴の響は一間《ひとま》へだてた方が丸味をおびてよいものだが、しかし、それは弾手の耳と、趣味の深さ浅さによるは論をまたない。もともと小楽器で、小曲的なものに適しているのを、大きな合奏曲の真似までしようとしたところにほころびがある。最初《はじめ》のうちの作曲や歌詞は、それをよく知ってつくられているが、段々大物にしようとしたところに無理がある。
 それは、芦船という人があまり器用すぎたのだろう。道楽で、猿若町《さるわかちょう》の芝居の囃子《はやし》部屋にもいたりしたから、あの楽器へ、長唄同様な囃子をつけた。黒人《くろうと》がきくと、あらゆる囃子の手がもちいられてあって舌をまくというが、そのよき[#「よき」に傍点]伴奏者のために、細い二本の絃《いと》は悲鳴をあげなければならなくなって、二絃琴の真のよさ[#「よさ」に傍点]を失なった嘆きがある。もとより、江戸情緒風物をたすける、影の、軽い伴奏はあってよい、私のいうのは鳴ものにまくしたてられて、ヒステリカルにキンキンならされるのを惜むまでだ――
 きんぼうに連れられて、あんぽんたんが二絃琴のおしょさんの家にいった時分には、もう家元芦船も芦雪も歿《なく》なっていた。直門《じきもん》に、芦質《ろしつ》、芦洲《ろしゅう》、芦総《ろそう》、芦寿賀《ろすが》らが残っていた。きんぼうのおばさんがその藤舎芦寿賀《とうしゃろすが》なのである。
 芦質さんという女が一番名望家らしかった。青白い、神経質らしい、その仲間でのインテリ夫人《おくさん》だった。薄い髪の毛を上品に、下の方へ丸めた束髪で、白っぽい風通《ふうつう》か小紋ちりめんを着て、黒い帯をしめ、金歯が光っていた。斯波《しば》さんの御新造《ごしんぞ》といって、浅草蔵前の方にいたから、もしかすると民政党の斯波氏のおうちの方だったかもしれない。この女《ひと》が家元の格をもっていたようだった。
 日本橋伊勢町の方に芦洲さんは住んでいた。肥《ふと》った黒い、立派な押出しのおかみさんだった。大きい、勢いのいい店の内儀だったのだろうと思う。いま、東流二絃琴の正統な弾手として奮闘しているのは、この人のお弟子さんたちにちがいない。ごく若い娘さんたちで、名取になっていた人のあったことを思いだす。この派の弾き手なら、直門の正しい手法といえるだろう。ただ、私の子供の耳にも、やや余情のない、勢いのいい、ハッキリした芸風と思えた。
 二絃琴は歌が――節がむずかしい。私はそんなふうにおぼえた。芦寿賀さんは節がやかましかった。曲をおぼえればそれでいいとしなかった。尤《もっと》も、それは、きん坊とあんぽんたんだけで、あとの人は普通《なみ》に、器楽の方を主にして教えはしたが、二人の子供は歌の方が三日、琴《きん》の方は一日で自分から弾けてしまった。
 あんぽんたんは、二絃琴がどんなものか、おぼろげながら知っていた。私の家にも芦船師が来たのだそうだが、そんな事は知っていない。ただ二絃琴という名は知らないが、おしょさんの家で見るそれとおなじ楽器が私の家《うち》にもあったのだ。父が時たまとりだして、安座《あぐら》をかいて、奏管《ろかん》(琴爪)で琴につけた譜面の星を、ウロウロ探しあてて弾いていた。大かた九世団十郎時代の、お弟子の一員ででもあったのであろう。父はその琴を撫《なで》ていった。
「これは芦船の形見だよ。」
 後にわかったのは、薬研堀《やげんぼり》にいた妾《ひと》は、日本橋区|堀留《ほりどめ》の、杉の森に住んでいた堅田《かただ》という鳴物師《なりものし》の妹だった。今でも二絃琴の鳴物は、鼓《つづみ》の望月|朴清《ぼくせい》の娘初子が総帥《そうすい》である。

 おしょさんの家は格子戸の中が半間《はんげん》のたたき[#「たたき」に傍点]に二畳、となりに窓の部屋、中の間の八畳にずっと戸棚があって、一方の壁に箪笥《たんす》がならび、その上に一ぱい細かいものが飾られてある。そのさきが長四畳《ながよじょう》と台所ののれん[#「
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