れん》がかけてあって、紺地に大きく彩色したえびすだのほていだのがついていた。その頃|流行《はやり》たてだったであろう噴水があって大きな金魚がいた。だが、食《たべ》ものは簡単だ。お餅か、お団子位だ。浅草の金竜山にしてもあん[#「あん」に傍点]と、きなこ[#「きなこ」に傍点]と、ごま[#「ごま」に傍点]のついた餅、芝の太々餅《だいだいもち》もおなじくであり、大橋ぎわのおだんご、谷中|芋坂《いもざか》のおだんご、そのほか数えたらいくらでもあるが――
中洲は納涼にもってこいだから、川開きの時分の賑いは別段だった。夏祭りと両国の花火は夏の年中行事と市民にはなっていたのだろう、あんぽんたんも昼寝からむりに覚されて、行水の盥《たらい》のなかへ入れられ、お船へのせて花火を見せるからと、だましだましいやがるのに着物をきせられた。
あたしの家で船を仕立るのか――たぶん、前出の金兵衛おじさんの船が来ていたのだったろうと思う。まだ日の高いうちから、金兵衛さんが紺の透通《すきとお》った着物を着て、白扇《はくせん》であおいで風通しのいい座敷に座っていると、顔見知りの老船頭だの、大工の棟梁《とうりょう》のところの伊三《いさ》という甥《おい》だのがかわるがわるに、一升|樽《だる》だのその他のものを運んだ。ものわかりのいいその人たちが、庭の、敷石のところに立って、座敷の人と応対《うけこたえ》していたのが、ばかにクッキリと今の私の目にも浮かぶ。
船のつけてあるところは、三河様よりこっちよりの細川邸の清正公様《せいしょうこうさま》のそとのところだった。夕潮が猪牙船《ちょき》の横っぱらをザブンザブンとゆすっていた。
「まず! 一杯《ひとつ》!」
おとなたちはおいしそうにお猪口《ちょこ》を口にもっていった。と、河の中の交際がはじまる。
「いよ――」
遠くの方から挨拶をしあうと、両方の船頭が腕に力をギイッと入れる。
「あれは材木町の船だ。」
竹河岸の材木やは、家内中で派手な船遊山《ふなゆさん》をやっている。暮れないうちの花火は、この船遊山の景物なのである。人々は水をたのしみ、空を仰ぎ、せまい家内や、近所の目から開放された気保養を、涼風とともに満々とうけ入れ、ゆるゆると楽しむのだった。
河上《かみ》の方から出てきた船は、下流《しも》の佃《つくだ》の方まで流してゆく。下流の方から出てきた船は竹屋を越えて綾瀬の方まで涼風におしおくられてゆく。そして夕暗といっしょに両方がまた漕《こ》ぎよせてくる。両国橋の上下に――
そのころ、五、六歳のアンポンタンの感想は――というとむずかしいが、おしっこのことだった。小船にはそういう設備がない。男の人は簡単にすませるが、といっても、まだ暮れきらない大川に、一ぱい船があってはそう勇敢な人ばかりはない。まして謹《つつ》ましいその時代の女たちの困りようは察しられる。岸近い船はわたりをかけて、尾上河岸《おのえがし》あたりのいきな家にたのむが、河心《かわなか》のはそうはいかない。気のきいた船頭が、幕や苫《とま》で囲いをして用をたさせると、まるで、源平両陣から那須与一《なすのよいち》の扇《おうぎ》の的《まと》でも見るように、は入る人が代るたびごとにヤアヤアと囃《はや》す。人間て、なんて癪《しゃく》なものだと、いって見ればそんな風にアンポンタンは片腹痛かった。
「おや? この子は笑ったよ、何がおかしかったのだ。」
おじさんたちにはわからない。ちいさな、てんしんらんまんたる幼子だからこそ、赤ン坊でいえば虫が笑わせるといった笑い――この場合では嘲笑《ちょうしょう》を禁じ得なかったのだ。
「ヤア爺《じい》さん!」
とかなんとか、笑った男が笑われて幕の囲いにはいり、テレくさそうに出てくるのだ。ばかな奴《やつ》ら! その水で盃《さかずき》をそそぎ、その流れで手拭《てぬぐい》をしぼって頭や胸を拭く、三尺へだたれば清《きよ》しなんて、いい気なものだ。
「玉や――」
みんなが口をあいて空を仰ぎ見る。だがなんと、暗い河の水の油のように重くぎらぎらすることぞ! 水面《みず》を見ると怖い。
アンポンタンは父親の膝《ひざ》を枕《まくら》にしてボンヤリしていた。もう、そろそろ船が動きだした。あたしは大きくなってからもそうだが、賑やかなあとのさびしさがたまらなくきらいだった。ことに川開きは、空の火も家々の燈も、船の灯も、バタバタと消えて、即《たちま》ちにして如法暗夜《にょほうあんや》の沈黙がくるからたまらなく嫌だ。遠くの方へ流れてゆく小さなさびしい火影《ほかげ》と三味線の音――小さい者は泣くにもなけない不思議なわびしさに閉じこめられてしまう。
そのまだ、それほど船がバラバラにならない前、すっと摺《す》れちがった屋根船から、
「あら――さんだ!」
というと、これ
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