、そこへゆくと、生れた時から自由の子だ、どんな奴にも、頭ぁさげるな、おんなじ人間だぞ。」
私は父を愛す。晩年に近く失敗したけれど、それは殆《ほとん》ど父の仕業《しわざ》ではないほど私の知る父とは矛盾した事だった。私の筆はやがて其方へも進んでゆくであろうが、そこでは弁護しないが、父の壮年時代を知り、晩年を知るものは、なにのためにかを考えさせられる。父は後にいった。長く考えていたことを、ふと迷って、そしてまた長く悔ゆると――
父の人格《ひとがら》がすこし変ったのは、中年過ぎて男の子が出来てから、母の狂愛に捲込《まきこ》まれてからだった。私につぶやいてきかせたころは、実に好きな父だった。夜、客のない時、お膳《ぜん》を前にしてチビチビやりながら書籍《しょもつ》を読んでいる。私を前におくのがくせだった。ふと気がついて書物から眼を離すと、おとなしく膳の前に座っている私に、お肴《さかな》をつまんで口に入れてくれた。(それは四つ五歳《いつつ》のころのことだが――)私は父が傍見《わきみ》をしながら猪口《おちょこ》を口にはこんで、このわた[#「このわた」に傍点]が咽喉《のど》につかえたのを見てから、いつも鋏《はさみ》をもって座っていた。
父は私を友達のように、とんでもない場所《ところ》へまで連れてゆく。薬研堀《やげんぼり》のおめかけさんのところへ連れていったまま、自分は用達《ようた》しに出てしまうので、私は二、三日して送りかえされる。ついて来た老婢《ろうひ》が、なにかと告口《つげぐち》をするのに、私は何も言わないので母に大層|折檻《せっかん》されたりした。
またある時は吉原へ連れてゆく。桜の仲之町の道中も、仁和加《にわか》も見た。金屏風《きんびょうぶ》を後にして、アカデミックな椅子《いす》に、洋装の花魁《おいらん》や、芝居で見るような太夫《たゆう》は厚いふき[#「ふき」に傍点]を重ねて、椅子の上に座り前に立派な広帯を垂らしているのを見た。せまい道巾《みちはば》のところへいったら、小さな店に、さびしげにいた黒い白粉《おしろい》をつけたようなお女郎が「おちゃびんだ」とどなって、煙管《キセル》を畳に投げつけたので、私はびっくりして、格子にぶるさがっていた手をはずしてベソをかいた。ある時は芝居につれていった。よわむしな私は芝居がこわくて、大きらいだったのに連れていっては失敗していた。新
前へ
次へ
全11ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング