は旦那にしたのだった。しかも彼女は律気|真面目《まじめ》一方で彼をまもった。
彼女は浜町に住んだ。藤木さん夫婦は妹娘を真《しん》にして柳橋でパリパリの××家のおとっさんおっかさんになってしまった。手拭《てぬぐい》ゆかたの立膝《たてひざ》で昔話をして、小山内さんや猿之助を煙にまいていた。浜町の家には、近くの中洲《なかず》の真砂座《まさござ》にたむろしていた、伊井、河合、村田、福島、木村などの新派俳優の下廻りが、どっちが楽屋かわからないほど入込んでいた。藤井|六輔《ろくすけ》とか小堀誠などは自分の家のようにまめに働いていた。芸妓、各遊芸の家元たち、はなしか、幇間《たいこもち》、集ればワッワッいう騒ぎだった。お麻さんはいつもそれらの後始末ばかりしていたが、彼女は一中節《いっちゅうぶし》の都の家元から一稲の名をもらっていたので、その名びろめを旦那が思いたった時は――彼女に対する日頃の謝意というより自分の道楽の方が勝ったであろうが、二日に渡った盛大な催しを柳橋の亀清楼《かめせい》で催した。仕着せ、まきもの、配りもの、飾りもの、ありきたりな凝《こり》ようではなかった。芦《あし》に都鳥《みやこどり
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