前の札差《ふださ》しに、来年さらいねんの扶持米を金にして貸せといたぶりに行く。札差し稼業はもとよりそういう放埒《ほうらつ》な、または貧乏な武士《さむらい》があって太るのだ。貴下《あなた》には泣かされますといいながら絞る。いくらにでも金にすればよいので、時価なぞにかまっていないよいお得意なのだから、彼らの番頭はうやうやしく町人|袴《ばかま》をはき、手代を供《とも》につれて香奠《こうでん》をもって悔みにくる。おなじ穴の狢《むじな》友達が出て殊勝らしく応待して、包んで来た香奠《こうでん》の包みをもってはいると、そんな事は知らない姉じゃ人が、日頃厄介をかける札差の番頭が来たというので挨拶に出て、すっかり巧《たく》みの尻《しり》が割れ、ならずものたちは裏門から飛出してしまう――
 そんな話を藤木さんは自分でも面白そうにはなす。尤《もっと》もそれは柳橋にすむようになって、昼も酒盃《さかずき》をもっていられるようになった、ずっと晩年のことではあるが――
 柳橋の角に、檜《ひのき》づくりの磨きたてた造作の芸妓屋を、姉娘の旦那《だんな》に建てもらい、またその隣家《となり》を買いつぶして、小意気な座敷を妹娘の旦那に建増してもらって、急に××家のおとっさんおとっさんとたてられ、ばかに華々《はなばな》しく彼のキンカン頭が光りだした時、持前の毒舌はいい気になって発揚した。無学で――それは彼もおなじなのだが――平民というと、見下《みさげ》られるものとのみこんでいた無智な仲間は、娘を売るような士族でも偉そうにあつかったので彼は得意だった。例によって彼自身では何一つ楽しみも与えもしないで、苦労ばかりさせた妻にむかっては「ぼていふりの嬶《かかあ》が相当だ」と罵《ののし》った。朝湯にはいって、講釈の寄席《よせ》へ昼寝をしにゆくのを毎日の仕事にしていたが、あんまり口やかましいので、佃島《つくだじま》の庭の梅が咲いたからお訪ねなさい、桜がよいでしょうから行ってらっしゃいと、私の父の閑居に体《てい》よく追払われては来た。生ていたころの木魚《もくぎょ》のおじいさんと三人、のどかな海に対して碁を打ち暮した。島には木橋の相生橋《あいおいばし》が懸っていたばかりで、橋の上を通る人は寥々《りょうりょう》としていた。本佃《ほんつくだ》の住吉の渡船《わたし》でくるか、永代橋のきわから出て、父の閑居の門前につく渡船に乗るか
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