《てんがい》、笙《しょう》、篳篥《ひちりき》、女たちは白無垢《しろむく》、男は編笠をかぶって――清楚《せいそ》な寝棺は一代の麗人か聖人の遺骸《いがい》をおさめたように、みずみずしい白絹におおわれ、白蓮の花が四方の角を飾って、青い簾《すだれ》が白房で半ば捲上《まきあ》げられ、それを幾町が間か肩にかつぎあげずに静々と柳橋から蔵前通りへと練り歩かれた。
それをまた迎える本堂は花を降らし、衆僧は棺をめぐって和讃《わさん》の合唱と香の煙りとで人を窒息させた。しかもまた堂にみつる会衆は、片時もだまっていられないたちの種類なので、後側の方は、おとむらいなのかお浚《さら》いなのか、ともかく寄合には相違ないが忍び笑いまでする――
私は死んでも、決して自分ひとり所有の、立派なお墓なんていうものを建るものではないと、その時思った。前にもいったが、藤木家一族の墓石は幾十基かならんでいるが、その中に、特によい位置をしめて、四角四面、見上げるほど高く、紋をつけた家根まで一ツ石でとってある、石の質も他のとは違うゆいしょありげな一基は、ずっと前の徳川将軍に昵懇《じっこん》していた女性の墓だということだった。それがまあ、なんと光栄なお見出しに預かったことか、肝心な墓の主に断わりもなく――尤《もっと》も断わろうにも百万億土にゆかなければならないが――墓主が代ったことである。これがいい、これがいい、そんな風にかんたんにとりかわってしまった。そして、かつてはどんな美女で、将軍の意志、即ち時の天下の意志を動かしたかも知れない女の墓名は、チンコッきりおじさんの名に代ってしまった。尤も、何々院殿という偉そうな名にはなったが――
しかし、もとの墓主だって、私は美女ときめているが、どんな人だったのか、それはわかりはしない。墓石が立派だから、下の人まで立派だといわれない。むしろ藤木さんなどは愛すべき俗人だ。彼は言ってるだろう。
「なんというべらぼうなこったか、干からびた鼠《ねずみ》のような俺《おれ》が――ここにはいるんだって? わしゃ、はずかしいわいなあ。」
底本:「旧聞日本橋」岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日第1刷発行
2000(平成12)年8月17日第6刷発行
底本の親本:「旧聞日本橋」岡倉書房
1935(昭和10)年刊行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
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