》を描いた提灯《ちょうちん》は、さしもに広い亀清楼の楼上楼下にかけつらねられて、その灯入りの美しさ――岸につないだ家根船《やねぶね》にまでおなじ飾りが水にゆれて流れた。
浜町の岡田では、この旦那のために舞台をつくって、あの広い家中を、一間一間楽屋にして素人芝居が開催される。もとより番附その他の設備、楽屋の積物、いうまでもなく人気役者の名題披露の通りにした。とうとう新富座まで借り入れてやったこともある。
お麻さんと旦那の生活はこの位にしておこう。お麻さん夫婦の浜町の家に特記してよいのは、小山内氏のために潮文閣を挙《おこ》して第一期『新思潮』を出したことである。そのころとしては作家たちを花屋敷の常磐《ときわ》という一流料亭に招待したり、一足飛びに稿料何円かを支払って一般の稿料価上げを促したものである。
姉娘と妹娘との旦那の張合いで、××家は柳橋でもパリパリの芸妓家となった。妹娘の旦那、銀行の頭取りは、事ごとに木場の旦那とは違ったゆきかたで、自分の女《もの》にした妹娘の家作《かさく》に手入れをする、動産、不動産、いずれも消てしまわないものを注ぎ込んだ。その時分の藤木さんの家こそ不思議だ。敷居一つまたぐと次の間は妹の家作で、入口の方の家が姉娘の家作、どっちの道、角家の磨きあげた二階家つづきで、お麻さんの芸妓名《うりな》をついだ妹が主で、大勢の抱妓《かかえ》がいた。妹は築地のサンマー夫人のところへ会話を習いにいったりして、二階の一間には床の間に花あり、衣桁《いこう》あり、飾り棚があり、塗机があり、書道の手本と硯《すずり》が並べてあるという豪奢《ごうしゃ》な貴婦人好みであった。
産むなら女の子をうんでおけと――むべなるかなで、チンコッきりおじさんはその家のお父さんとして死んだので、実に大層もない葬式の列が編上《あみあ》げられて、死に果報なこととなったが、同時にこそばゆい華やかさでもあった。
最もその時分、角力《すもう》の親方だとか顔役だとか、人気役者とかいえば、そうした突拍子もないお祭りさわぎの葬式もあったが、チンコッきりおじさんを知っているものには不思議な微笑をもって送られた。小禽《ことり》が何百羽はいっていようかと思われるほどの大鳥|籠《かご》、万燈《まんどん》のような飾りもの、金、銀、紅、白の蓮《はす》の造花、生花はあらゆる種々な格好になってくる。竜燈、旗、天蓋
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