されると、真白な根のきわにほの赤い皮が、風呂《おゆ》から出た奇麗な人の血色のように鮮かに目立った。ボンヤリ見ている私は手伝いたくてウズウズしている。小僧さんが天秤棒《てんびんぼう》が撓《たわ》むほど、籠《かご》に一ぱいの大きな瓜《うり》を担いで来て、土橋《どばし》をギチギチ急いで渡ってた。
 町の子のあたしが、笹舟を流すことを知ったのも、麦笛を吹いたのも、夜蒔《よま》きの瓜の講釈をきいたのも、田圃へどじょう[#「どじょう」に傍点]を突きに行ったのも、根岸の里住居のたまものだった。おばあさんは切れの巾着《きんちゃく》の中味を勘定して、あたしのおやつや好きな塩鮭《しおじゃけ》の一切れを買いにいった。まだ上野山下の青石横町にいる時分に、あたしは雨上《あまあが》りに三枚橋下へ小魚を掬《すく》いにいったり、山内へ椎《しい》の実を拾いにいって、夜になるとおばあさんの不思議な話をききながら煎《い》ってもらって、椎の実の味を知った。秋のはじめになると、
「蓮《はす》の実はいらないか、蓮の実いらないか。」
と短く折った蓮の蕋《しべ》を抱えて、売ってくれる子とも馴染《なじみ》になって、蓮の実の味も知った。そんな事は日本橋油町|辺《あた》りの子供の誰一人知ってはいなかった。
 田圃道を歩きながら、おばあさんは錦絵《にしきえ》のような話をはじめる。
「根岸にはお大名の別荘《しもやしき》が沢山あるけれど、加賀様のお姫さまがたは揃ってお美しかった。お前さん、桜《はな》の咲くころに、お三方《さんかた》もお四方《よかた》も揃ってお出《いで》になると、まるで田舎源氏の挿絵のようさね。」
「おばあさん、お姫様はピラピラをさげてる?」
「お袿《かけ》は召ていないが、お振袖で、曙染《あけぼのぞめ》で、それはそれは奇麗ですよ、お前さんに見せたいね。ほんと! 桜の花よりものいう花がきれいさ。」
 あたしにはまたちょいとこの会話《はなし》が分らなくなる。牛乳《ちち》を呑《の》ましてくれる家《うち》の門《かど》に来た。
「ここらはもう三河島《みかわしま》田圃。」
とおばあさんがいったから、三河島の方へ寄っていたのであろう。一構《ひとかまえ》の百姓家は牧場になっていた。牛の牧場なんてそれまで見た事もない私だった。優しい眼をした黄と白の斑牛《まだらうし》が寝そべっていて、可愛い仔牛《こうし》がいたが、生きた牛の添《そば》にいった事はないし、臆病な私は怖《こわ》かった。若いキリリとした女房《おかみ》さんが、堀井戸に釣るしてあった鑵《かん》からコップへ牛乳を酌《く》んでくれた。濃い、甘い、冷たい牛乳だった。
「お砂糖がはいっているよ。」
と私が悦《よろこ》んでいうと、おかみさんとお亭主が笑っていった。
「お砂糖はいれてないけれど、絞りたての甘《うま》いのをあげたのさ。」
 こんな風《ふう》におばあさんはよく私を連れて他家《よそ》へいった。私が本を読みたがると、何処《どこ》からか聞きだしてきてくれて、私を貸本屋へつれてゆくといった。
 毎日二時過ぎると小さなお釜《かま》でお湯を湧《わか》して、盥《たらい》へ行水のお湯をとってくれた。私は裏からも表からも見透《みすか》しの場処でのんきに盥の中へ座る。雨蛙にもお湯をぶっかける。大きな山|蟻《あり》が逃出すのを面白がる。或《ある》時は蟇《ひきがえる》と睨《にら》めっこしながら盥の中にかしこまっている。涼しい風にくしゃみをするとおばあさんが声をかける。
「さあ、もういいよ。」
 汗知らずをまだらにはたきつけて貸本屋さんへ出かける――
 貸本屋も御隠居処なのである。寒竹の垣根つづきの細道を、寒竹の竹の子を抜きながらゆくと何処でか藪鶯《やぶうぐいす》が鳴いている。カラカラと、辷《すべ》りのいい門の戸をあけると、踏石《ふみいし》だけ残して、いろとりどりな松葉|牡丹《ぼたん》が一面。軒下に下っている鈴をならすと、切髪の綺麗《きれい》な女隠居が出てきて、両手を揃えて丁寧におじぎをした。
『妙々車』『浅間嶽』などが私の膝の前に高く積み重ねられた。私は幾度か見たものもあればまだ一度も開いたことのないものもあった。小さな私が一心を魅《と》られてしまっている時にこの二人の閑人――老婆がどんな話をしていたのか、思出すことも出来ない。
「これだけ拝借して、一日三銭でよいと仰《おっ》しゃったよ。」
 湯川のおばあさんは帰り道でそういった。私の本の見方が、大人より大切にして、キチンと座って読んでいるのに、先方の老女が感心して安くしてくれたのだと、――それにしても、あんまり少額《すけ》ないお礼に驚いた。
「宅にあるのを、みんな読ましておあげなさい。お好《すき》なものを見せないなんて、わからない親御《おやご》さんだ。」
 そうも言ったのだそうだ。けれどその家にはくさ草紙よりほかなかった。
 夕暮が来て、草双紙にもあきると、おばあさんを誘ってまた田圃に出た。蛍《ほたる》がチラホラ飛んでいる。小さな棺を担がした人がスタスタ通ってゆく。前の堰《せき》では農具を洗っている。鍬《くわ》が暗《やみ》にも光る――その側《そば》で、大きな瓜を二ツに裂いている。
「この種をも一度|蒔《ま》くので、熟《う》れすぎたから塩押しにするのだ。」
と教えてくれる。三河島田圃の方の空が明るくて、賑やかな物音のする心地《ここち》がすると、あっちが吉原だと言った。昼間よりも、田圃みちを人が通っている。
 谷中|芋坂《いもざか》の名物|羽二重《はぶたえ》団子《だんご》がアンポンタンのお茶受けに好きだった。その団子屋の近くは藤木さんの住居になった寮だ。腰障子の土間の広い、荒っぽい材組《きぐみ》で、柱なんぞも太かったが、簡素な造りで、藤木さんは手拭ゆかたを着て、目白《めじろ》をおとりにして木立に小鳥籠が幾個《いくつ》かかけてあった。瑠璃《るり》の朝顔が大輪に咲くのを自慢した。
 朝顔を見にいった朝は、なんでも朝飯を食べていってくれと夫婦していった。それは私に代表させた私一家へ対しての、夫婦《ふたり》の感謝だったのかも知れない。子供だけれど潔癖だからと、白い御飯を光るように炊《た》いてだした。お豆腐の上に、まっ青な、香《かおり》の高い紫蘇《しそ》の葉がきざんで乗せてあるのが私をよろこばせた。
「妙なものが好きだ。」
 夫婦《ふたり》は私のお膳《ぜん》の前にいて、煽《あお》いでくれながらいった。
「お豆腐のきらいなのは知っているから、どうしたら好いかと心配したのだった。青いものが好きだから気に入るかと思って――」
 木の枝にかけわたした竹|棹《ざお》に蔓《つる》がまきついて、唐茄子《とうなす》が二ツなっていた。
「朝顔につるべとられて――とかなんとかいうが、おやっちゃん、宅《うち》じゃあね、あれごらん、唐茄子に乾棹《ほしざお》とられてだよ。」
 藤木さんは秀逸らしくいって、
「だけど、うん[#「うん」に傍点]と大きくして、油町へもってったって、こいつあ一個《ひとつ》でも、とてもあまるって、あの人数でもうな[#「うな」に傍点]らせるほど大きくするんだ。」
「桃の中から桃太郎が出るから、唐茄子から何が出るか、あたくしゃあ楽しみだよ。」
と湯川おばあさんがいった。
「違《ちげ》えねえ、飴《あめ》の中からお多福さんが出たよだ――さあさあ、これなる唐茄子から何が出ますか代価《だい》は見てのおもどり――ハッ来た、とくりゃあたいしたものだが、文福茶釜じゃあるめえし、鍋に入れたからって踊りだしゃあしまい。」
 藤木さんがそんな戯談《じょうだん》をいった時に、唐茄子の中にははいっていたものがあったのだった。あんまり大きくなるが様子が変だからと、庖丁《ほうちょう》を入れたら小蛇が断《き》れて出た。

 幾年か経《た》った。千葉の方にいた私の母の妹が、藤木の家が気楽だからと荷物をおいて宿にしていた。土佐の藩士で造幣局に出て、失職して千葉の監獄の監守になり、後に台湾で骨董《こっとう》商と金貸をした(虎と蛇の薬をもって来た)人の細君だった。――その時分|漸《ようや》く奉還金の残りが公債証書で渡されるとかいって悦びあっていた間柄だった――気むずかしい毒舌家の藤木さんが、一番気のあった女《ひと》だった。極《ご》く早いお茶の水の卒業生だった彼女が学校を出て、大丸横町の岡田学校というのへ月俸金四円也で奉職したのは、私なぞの知らないころだったが、わからずやの私の母は、妹が毎日|袴《はかま》をはいて大門通りを通り、近所の小学校へつとめに来られては肩味がせまいという理由のもとに抗議をもうしこんだ。そのためにあんなおじさんのところへお嫁入りをさせられたのだと、明治十何年か時代のモダン女性は、平凡に――あんまり平凡になりすぎた運命をよく嘆いていた。
 ある日|坂本《さかもと》に昼火事があって、藤木さんは義妹《いもうと》の一人子を肩にして見物していたが、火勢が盛んなので義妹にも見せたくなって呼びにかえった。自分の見世物のように、勢いよく燃えあがっている火事を眺めさせていると、根岸の方に飛火があると騒ぎだした。とって返して見ると見当がわるい、自分たちの方角だ。おやおやと駈《か》けつけて見ると、住居の茅《かや》屋根が燃て、近所の人たちが消ていてくれた。
 飛火は消えた。どうやら半焼――それも戸棚の中だけですんだというので、狂気のように家の中にはいって見ると、戸棚の中味だけがすっかり焼けつくして――やっと、どうにかなりかけた藤木の品《もの》ばかりでなく、田舎からはこんで来た義妹の家財は一物も満足なのはなく、一緒にして鞄《かばん》へ入れておいてもらった両家の家禄奉還金《かろくほうかんきん》の書類も灰になってしまっていた。



底本:「旧聞日本橋」岩波文庫、岩波書店
   1983(昭和58)年8月16日第1刷発行
   2000(平成12)年8月17日第6刷発行
底本の親本:「旧聞日本橋」岡倉書房
   1935(昭和10)年刊行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2003年7月4日作成
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