え、飴《あめ》の中からお多福さんが出たよだ――さあさあ、これなる唐茄子から何が出ますか代価《だい》は見てのおもどり――ハッ来た、とくりゃあたいしたものだが、文福茶釜じゃあるめえし、鍋に入れたからって踊りだしゃあしまい。」
藤木さんがそんな戯談《じょうだん》をいった時に、唐茄子の中にははいっていたものがあったのだった。あんまり大きくなるが様子が変だからと、庖丁《ほうちょう》を入れたら小蛇が断《き》れて出た。
幾年か経《た》った。千葉の方にいた私の母の妹が、藤木の家が気楽だからと荷物をおいて宿にしていた。土佐の藩士で造幣局に出て、失職して千葉の監獄の監守になり、後に台湾で骨董《こっとう》商と金貸をした(虎と蛇の薬をもって来た)人の細君だった。――その時分|漸《ようや》く奉還金の残りが公債証書で渡されるとかいって悦びあっていた間柄だった――気むずかしい毒舌家の藤木さんが、一番気のあった女《ひと》だった。極《ご》く早いお茶の水の卒業生だった彼女が学校を出て、大丸横町の岡田学校というのへ月俸金四円也で奉職したのは、私なぞの知らないころだったが、わからずやの私の母は、妹が毎日|袴《はかま》をはいて大門通りを通り、近所の小学校へつとめに来られては肩味がせまいという理由のもとに抗議をもうしこんだ。そのためにあんなおじさんのところへお嫁入りをさせられたのだと、明治十何年か時代のモダン女性は、平凡に――あんまり平凡になりすぎた運命をよく嘆いていた。
ある日|坂本《さかもと》に昼火事があって、藤木さんは義妹《いもうと》の一人子を肩にして見物していたが、火勢が盛んなので義妹にも見せたくなって呼びにかえった。自分の見世物のように、勢いよく燃えあがっている火事を眺めさせていると、根岸の方に飛火があると騒ぎだした。とって返して見ると見当がわるい、自分たちの方角だ。おやおやと駈《か》けつけて見ると、住居の茅《かや》屋根が燃て、近所の人たちが消ていてくれた。
飛火は消えた。どうやら半焼――それも戸棚の中だけですんだというので、狂気のように家の中にはいって見ると、戸棚の中味だけがすっかり焼けつくして――やっと、どうにかなりかけた藤木の品《もの》ばかりでなく、田舎からはこんで来た義妹の家財は一物も満足なのはなく、一緒にして鞄《かばん》へ入れておいてもらった両家の家禄奉還金《かろくほうかんきん》
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