りほかなかった。
 夕暮が来て、草双紙にもあきると、おばあさんを誘ってまた田圃に出た。蛍《ほたる》がチラホラ飛んでいる。小さな棺を担がした人がスタスタ通ってゆく。前の堰《せき》では農具を洗っている。鍬《くわ》が暗《やみ》にも光る――その側《そば》で、大きな瓜を二ツに裂いている。
「この種をも一度|蒔《ま》くので、熟《う》れすぎたから塩押しにするのだ。」
と教えてくれる。三河島田圃の方の空が明るくて、賑やかな物音のする心地《ここち》がすると、あっちが吉原だと言った。昼間よりも、田圃みちを人が通っている。
 谷中|芋坂《いもざか》の名物|羽二重《はぶたえ》団子《だんご》がアンポンタンのお茶受けに好きだった。その団子屋の近くは藤木さんの住居になった寮だ。腰障子の土間の広い、荒っぽい材組《きぐみ》で、柱なんぞも太かったが、簡素な造りで、藤木さんは手拭ゆかたを着て、目白《めじろ》をおとりにして木立に小鳥籠が幾個《いくつ》かかけてあった。瑠璃《るり》の朝顔が大輪に咲くのを自慢した。
 朝顔を見にいった朝は、なんでも朝飯を食べていってくれと夫婦していった。それは私に代表させた私一家へ対しての、夫婦《ふたり》の感謝だったのかも知れない。子供だけれど潔癖だからと、白い御飯を光るように炊《た》いてだした。お豆腐の上に、まっ青な、香《かおり》の高い紫蘇《しそ》の葉がきざんで乗せてあるのが私をよろこばせた。
「妙なものが好きだ。」
 夫婦《ふたり》は私のお膳《ぜん》の前にいて、煽《あお》いでくれながらいった。
「お豆腐のきらいなのは知っているから、どうしたら好いかと心配したのだった。青いものが好きだから気に入るかと思って――」
 木の枝にかけわたした竹|棹《ざお》に蔓《つる》がまきついて、唐茄子《とうなす》が二ツなっていた。
「朝顔につるべとられて――とかなんとかいうが、おやっちゃん、宅《うち》じゃあね、あれごらん、唐茄子に乾棹《ほしざお》とられてだよ。」
 藤木さんは秀逸らしくいって、
「だけど、うん[#「うん」に傍点]と大きくして、油町へもってったって、こいつあ一個《ひとつ》でも、とてもあまるって、あの人数でもうな[#「うな」に傍点]らせるほど大きくするんだ。」
「桃の中から桃太郎が出るから、唐茄子から何が出るか、あたくしゃあ楽しみだよ。」
と湯川おばあさんがいった。
「違《ちげ》えね
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