。だから、梅毒《かさ》かってたら、なにいうてやの、あほらし、ったんでね、なんのことかとおもったら、それ、やっぱり京女は優しいところがあるのさ。情がうつるかと聞いたんだってえのよ、返事がとんちんかんだから、厭《いや》な奴《やつ》だと思われようってもんさ。だけれど、その時いってたね、東男《あずまおとこ》は金ばなれがいいってさ。そういったってお前さん。貧乏旗本に金なんぞあるわけはないんだが――男振りでもてたのかもしれないねえ。――なにしと、それこそ、なにいうてやの、あほらしいだ。」
「藤木さん、藤木さんも小さい時分、前髪を結ってたの?」
 あたしにはそんな駄じゃれはわからなかったから、自分の質問を出した。
「オ・イエース。」
 藤木さんは胸を反《そら》して膝《ひざ》の上に両手をおいた。
「秀才だったのだよ。なんて、菅秀才《かんしゅうさい》はお芝居の寺小屋へ出る。他《ほか》の秀才は他人《ひと》のことで榎本《えのもと》の釜《かま》さんなんかがそうだったのだね。僕なんぞはおんなじように、子《し》のたまわくなんてやって、なんの事だかチンプンカンプンだったのだ。だからだめさ、勉強しなくっちゃ、なんでもいけないさ、君のお父さんなんか、剣が利いたからたいしたものだ、剣の方じゃどうして立派な手腕《うでまえ》だったそうな。今だってなみたいていなものは前へ廻れまいさ。」
「釜さんて誰のこと。」
「榎本武揚《えのもとたけあき》って人があるだろう。」
「ああ、知ってる。」
「あの人のちいさい時分には、家が貧乏で――はて、彼処《あすこ》は何人|扶持《ふち》だったけかな? 根岸の奥でね、藪《やぶ》のある、門に大きな樹《き》のあった家さ。釜さん、遊ばないかったって返事もしやしない。子《し》のたまわくだ。なにしてやがるかと思って、破《やぶ》けた窓の障子から覗《のぞ》くとね、ポンポチ米を徳久利《とっくり》で舂《つ》きながら勉強してやがるんだ。使いにゆく時だって破れ袴《はかま》をはいてね、こちとら悪太郎の仲間になんかはいらねえで、いやに賢人ぶった子供だったよ。ヤイ釜公、どうして遊ばないんだと怒鳴ってもだめ。みんなで石っころを投《ほう》りこんで逃出すんだ、そりゃね、時には、外《おもて》でいじめたこともあるさ。だけれど、その時|敗《ま》けて泣いた奴の方があんなに偉くなって、わしゃチンコッきりだ。わしゃかなしい。」
 悲しそうにわざといって唄《うた》のように唄った。
 そこでアンポンタンは、武家は精《しら》けた白米《こめ》をもらうのでないという事を知った。どんな風にして、お米を精《しら》けるのかきくと、薬研《やげん》で薬を刻むようにするのだといった。本町辺は薬種《やくしゅ》問屋の多いところなので、あたしは安座《あぐら》をかいて、薬草《くすりぐさ》を刻んでいるのを見て知っていたからよくわかった。祖母の持薬《あいぐすり》を買いにゆくと、種々な薬を集めて、薬研でくだいて袋に入れてくれた事も見ている。徳久利でどうして舂くのかといったら、薬研では玄米《こめ》が破《くだ》けてしまうから、貧乏徳久利で舂くのだといった。
「藤木さんもお米をついたの?」
「私の家は禄高《とりだか》だけ売ってお金にして、入用だけ白いお米で届けてもらったから――ていうと人聞きがいいが、来年の分も、さらい年の分も、金にし貸りてしまうので、よこす米がないってわけさ。浅草のお蔵前に、幕府の米蔵をあずかっている商人があってね、旗本の咽喉《のど》を押えつけたのさ。そこから金にしてもらったり、白米で渡してもらったりしたものでね。清元の唄にある――首尾の松が枝竹町のって――百本|杭《くい》の向う河岸の、お船蔵の首尾の松さ、あすこにわれわれのもらう、幕府の米がうん[#「うん」に傍点]とうなっていても、そりゃもう我々のものじゃないって訳《わけ》でね。」
「どうしてお金にしてしまうの?」
「そこがね、どうも、ちっとお話にならない訳でね。」
 藤木さんは頭をクルクル撫《な》でた。すると祖母が赤い胴の着物をもって来て、
「寝間着《ねまき》の丈《たけ》が短くて、足がつめたいとお言いだそうだが、長いのが間にあわないから私の下着を着て寝たらよい。」
「へえ?」
 さすがの藤木さんも鹿《か》の子《こ》模様の赤い絹の胴をつまんで、呆《あき》れた顔をして言った。
「結構でございます。だが――いやに思わせぶりっていうわけで、有難いような、嬉しいような――百貫めの借銭負うて、紙衣《かみこ》着た伊左衛門じゃないが、昔をいやに思いださせるね。尤《もっと》も伊左衛門っていう柄じゃなかったってね。そうそう、あかい胴の方が似合う、お軽っていう役どころさ。――え? なんだって、猿芝居だって? 戯談《じょうだん》じゃないよ、廻りの八丈の方が本役だって? そうですよ
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