世辞をつぎたした。
「イヨウ、綺麗になりやがあったな、弁天様だぞ。」
 酒をもひとつというように口をあけた。そして露を吸うように、垂らされる雫《しずく》が舌のさきに辷《すべ》ると、
 ――富士の、白さけ……
と幽《かすか》な幽な声で転がすように唄《うた》った。正《まさ》しく生ているおりなら、笑《え》みくずれるほどに笑ったのであろう。唇をパクリとした。
 でも臨終ではない。ああ結構な、いい往生ですいい往生ですと寄って来たものはポカンとして当惑した顔をした。
 私の心は暗かった。長い一生、一念を封じこめた硫黄山《やま》に心を残しているのではあるまいかと。
「老爺さん、硫黄鉱山《やま》が売れましたよ。」
「ほ。」
 パッと、死んだ瞳《ひとみ》に瞬間|灯《ひ》がともった。手を差出した。そこらにあった重いものを掴《つか》んだ手を私は老爺さんの手に触れさせた。
「有難い――みんなにやってくれ。」
 私はほほえましくお伽噺《とぎばなし》のように言った。
「老爺さんの黄金《きん》の像を建ててあげましょう。」
「ほ。」
 満足な瞑目《めいもく》だった。
 厳粛にしゃちこばった人たちの方がすぐに悪口した。
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