世辞をつぎたした。
「イヨウ、綺麗になりやがあったな、弁天様だぞ。」
酒をもひとつというように口をあけた。そして露を吸うように、垂らされる雫《しずく》が舌のさきに辷《すべ》ると、
――富士の、白さけ……
と幽《かすか》な幽な声で転がすように唄《うた》った。正《まさ》しく生ているおりなら、笑《え》みくずれるほどに笑ったのであろう。唇をパクリとした。
でも臨終ではない。ああ結構な、いい往生ですいい往生ですと寄って来たものはポカンとして当惑した顔をした。
私の心は暗かった。長い一生、一念を封じこめた硫黄山《やま》に心を残しているのではあるまいかと。
「老爺さん、硫黄鉱山《やま》が売れましたよ。」
「ほ。」
パッと、死んだ瞳《ひとみ》に瞬間|灯《ひ》がともった。手を差出した。そこらにあった重いものを掴《つか》んだ手を私は老爺さんの手に触れさせた。
「有難い――みんなにやってくれ。」
私はほほえましくお伽噺《とぎばなし》のように言った。
「老爺さんの黄金《きん》の像を建ててあげましょう。」
「ほ。」
満足な瞑目《めいもく》だった。
厳粛にしゃちこばった人たちの方がすぐに悪口した。欲ばっていると――
私にはそう思えなかった。
初秋の風に竹がサラサラ鳴る暁、柩《ひつぎ》は出てゆくのだった。戒名は硫黄|居士《こじ》と私がつけたが、親類の望みで二字に離してくれというので、硫石黄竹居士になった。私は臨終に嘘をついたのを、今でもちっとも悪いと思っていない。私はみんなが、さまではというのに反対して、黄竹居士湯川老人の柩の中へ、標本になっていた硫黄の、ありったけの種類をすこしずつ入れてやった。これほどの供養はないと思っている。
底本:「旧聞日本橋」岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日第1刷発行
2000(平成12)年8月17日第6刷発行
底本の親本:「旧聞日本橋」岡倉書房
1935(昭和10)年刊行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2003年7月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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