離れの二階が一番乾いていたのと通風がよいので、みんなが其処《そこ》に集って暮すと、二人の老人はまた互に強がりはじめた。しかし、二人ともどこか悪くしている様子が見えた。私は七十代の父の方に説いた。
「どうも老爺さんが悪いらしいが、医者をよぶというとかからないから、お父さんが風邪をひいたことにして――」
「よし。」
 老父は至極簡単で、もの事を逆にいえば唯々諾々《いいだくだく》なのである。
「なにしろ湯川老人は年齢《とし》だからな、医者に見せなければいけない。」
 そして、その湯川老人はいった。
「ようごす、お父さんは頑固だからどうも強がっていけない。僕が医者にかかるというと、自分のためだとは知らずに、湯川もまいったなと言われるだろう。だが、なんぞ知らん、長谷川|氏《うじ》のために呼んだ医者だ。」
 カラカラと笑ってつけたした。
「幸と硫黄はなんともなかった。書物《かきもの》をすこしやられたが、それはまた書けば書けるから、どうか御安心ください。」
 だが、死期はせまっていたのだった。保《も》てるだけもった体は、ポクリと倒れるまで余命を保っていただけだつた。医者は言った。何ともないが死ぬだろうと、しかも十日はどうかと――
 葬式にも間に合わないだろうがと、台湾から出て来た例の虎と蛇薬の婿は、蚊にさされながらブツブツ言った。
「こんな事なら、わしゃ言うとかにゃならぬことや、仕ておかにゃならんことが沢山沢山あったに――おじいさん、どこまで他人《ひと》を困らせる人か、わしゃもう、若いころからこの人のためには、ほん、サンザンな目に逢うとるわ。」
 医者も驚いた。こんな事はないがと――そのくせ死期は来ているのだが。
「おじいさん癌《がん》があったのだね、驚いたなあ、何時《いつ》ころからなんだ。」
 医者にもわからないものが、誰にも分りようはなかった。強い、しどい、刺戟《しげき》のある臭気を、香を焚《た》き、鼻の穴へ香水をつけた綿を挿《さし》て私が世話をすると、その時だけ意識が分明《はっきり》して、他の者には近よらせなかった。そしてお世辞がよかった。
 何に拘《こだ》わっているのか――と私は考えた。
「おじいさん、お酒がほしい?」
 ニコリとしたような表情だ、私は薬指のさきに、薄めた清酒をつけて嘗《な》めさせるとおちょぼ口をした。
「ほう、観音様だな。」
 傍から首を出した妹を見てお
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