四角である。老爺《おじい》さんの顔も大きな四角なお出額《でこ》で顎《あご》も張っている。そのくせ鼻は丸く安座《あぐら》をかいていて小さい目は好人物というより、滑稽味《こっけいみ》のある剥身《むきみ》に似た、これもけんそんな眼だ。白い髭《ひげ》が鼻の下にガサガサと生《は》えて、十二月の野原の薄《すすき》のような頭髪が、デコボコな禿《はげ》た頭にヒョロヒョロしている。悪口すれば、侏儒《くもすけ》ともいえる、ずんぐりと低い醜い人だ。
その前にも逢《あ》ったかも知れないが、アンポンタンが意識した初対面の印象だった。彼の身辺《まわり》は石炭酸の香《かおり》がプンプンした。
「ヒョウソになる性《たち》だから、これは働きながらでは無理だ。」
そういって女中を――台所働きの女中をおさんどんと呼ぶころだった。そのおさんが昨日《きのう》足の裏を咎《とが》めたのを気にしないでいたらば、熱が出て腫《は》れあがったのを診察して、養生にかえすようにと言った。
老爺《おじい》さんが洋科のお医者が出来るのも初耳だった。あたしの家は頑固で、漢法医にばかりかかって練薬《ねりやく》だの、振りだしだのを飲ませ、外|傷《きず》には貝殻へ入れた膏薬《こうやく》をつけさせていたから――洋科の医者といえばハイカラなものと思っていたあたしは、石炭酸の匂いに厳粛になり、この汚ない老爺さんに呆然《ぼうぜん》としていた。
そのまた老爺さんの言語《ことば》がふるっている。
「長谷川|氏《うじ》は元気かな。」
長谷川|氏《うじ》――あたしの父で、彼の婿である。常磐津《ときわず》の師匠の格子戸へ犬の糞《ふん》をぬった不良若衆で、当時でのモダン代言人である。――あたしは、彼のデコボコ頭の凹《ひく》みにたまった埃《ごみ》をながめた。
以下、その老爺さんの生活の断片で、アンポンタンの眼に映《うつ》ったヒルムの屑《くず》である。
すべてのことに転々とする人を見るとさびしい焦燥を他人《ひと》ごとながら感じて、石が汗をかくようなにじみだす涙がこみあげてくる時がある。生れながらの性《さが》もあろうが、ピッタリと、ものに廻りあわぬ悲しい人たちなのである。蚕でさえ心にあうところのあるまで、繭をかける場処を選んで、与えられた木の枝の、果《はし》からはしまで歩き廻る――それは何やら満されない本能の求めなのではなかろうか――老爺さん湯
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