字下げ終わり]

 私は微笑した。こんなつまらない事ではあるが、他人のいった事が正しいような気がして無意識に従うことがある。実は、前章の末に書いた鼠小僧のくだんの中に、神田和泉町と書いたのは何処《どこ》かに目に残っていた文字をそのまま書いてしまったのだった。講釈本からかも知れない。あるいは戯曲の台本などからかも知れない。
 和泉橋は今でも神田と下谷《したや》にかけてかかっている。和泉町といえば神田の方がゴロがよい、というわけでもあるまいが、日本橋区内の和泉町は知る人がすけない。そこで、ちっとばかり古い事を並べて見ると、本編最初からお馴染《なじみ》になっている大門通りは、廓《くるわ》の大門の通りなのだから大門《おおもん》とよんでください。芝にも大門があるがあれは大門《だいもん》である。
 日本の首都である東京の日本橋の中央の大問屋町が、遊女屋町吉原の大門通りであって、堺町、和泉町、浪花町《なにわちょう》、住吉町、大坂町でとんで伊勢町など、みんな関西から出稼ぎ――遊女屋の出身地だとばかりはいわれまいが――人の地名から来ている。長谷川町は大和からの名であろうが、其処《そこ》には長谷川という大
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