組の火消《ひけし》が提燈をふりかざして続いてくる。見舞人が飛ぶ。とても大通りは通られはしない。
子供たちは角に立って、ガクガクして飛んできておちくだける火の子の華《はな》を眺めていた。火喰鳥《ひくいどり》が空をまわってるからこの火事は大きくなるなどとろく[#「ろく」に傍点]な事はいわなかった。でなくてもこの火事はある[#「ある」に傍点]べきものとしてこの近辺の者には予想されていたのだった。松島町の方に火柱がたつということは毎夜|噂《うわさ》されていた。祖母をさすりに毎晩交替でくる、栄良だの栄信だのという小あんまたちまでが、自分たちも見たように咄《はな》すのだった。私たちも怖々《こわごわ》夜更けに出て見たことがある。そういえば気のせいか、下の方は見えないで、一抱え以上もある火気が――丸い柱が、ポッと立っているように思えたのだった。
書生たちは早くからあつまってきた。河岸《かし》を廻って細川様(浜町清正公様)のさきから、火事場の裏からでなければはいれまいと父も洋服を着て出ていった(その前までは刺《さし》っ子を着るのだったが)。火事場の中には、テンコツさん一家の一人に、肺病で寝ている、来春大学を出る法律書生の、父のたった一人の甥《おい》もいたから、家のものは案じきっていた。
と、大通りの勢いのよい人たちに突きのめされながら、薄いきもの一枚で、葛籠《つづら》を肩にした青い少年がフラフラと現われた。待ちには待っていたが、手厚く連れてこられるものとして待ちかまえていた女たちはそれを見ると戦慄《ふるえ》た。長病《ながわずらい》の少年が――火葬場《やきば》の薬《くすり》までもらおうというものが、この夜寒に、――しかも重い病人に、荷物をもたせて、綿のはいったものもきせずに――
母一人《ははひとり》子一人《こひとり》なのに――なにがほしいんだ、祖母はグッと胸に来たらしかった。全然|肌合《はだあい》のちがう嫁ではあるが――祖母には、その少年がたった一人の男の孫であり、その子の母親は私の父の兄の後妻であった。父の兄は維新後の世の中のゴタゴタのころ、懐に金を入れて出たまま行衛《ゆくえ》不明になって、幼子と後妻だけが残ったのを、家を売った金や残りのものと一緒に実家《さとかた》の兄、テンコツさんの近くへいっていた。
少年は暖かい床に入れられ、私の母に静かにさすられていた。祖母はやがて帰
前へ
次へ
全10ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング