、三でもあったのだろうが、一体に黒っぽいおつくり[#「おつくり」に傍点]の時代で、ことにテンコツさん一家だから花の香はなかった。大きいおうるどみすがおとよさんといって学校の先生だった。中位《ちゅうぐらい》のおうるどみすも教師だった。下のミスも先生になりかけていた。お母さんだけが台所をしていた。この女ばかりの家は用心堅固で、貧乏が入りこまないようにしていた。大きいミスの名が通りものになって、おとよ[#「おとよ」に傍点]さんの家と呼んでいた。
 善兵衛がおひとよしだから姉さんはあんなになってしまってと、おやそさんは言ったが、勝梅さんのお母《っか》さんよりおやそさんの方がよっぽど貧乏性だった。

 おやそさんは、あたしの祖母がなくなったとき、寐棺《ねがん》が来たら蓋《ふた》をとって見て、
「まあ結構な――どれまあ。ちょいとお初《はつ》に入れて見せて頂いて――どんな具合だかおあんばいを」
と中にはいって横に寐《ねて》て言った。
「なんて楽なことで御座《ござ》いましょう。お布団はふくふくして、なんとももうされないよい気持ちで御座います。おばあ様にあやかりまして、私も極楽|往生《おうじょう》いたしますように。」
 なまいだ、なまいだ、なまいだ、と棺から出てきても空念仏《そらねんぶつ》を言いつづけていた。
 おやそさんが、漬物桶《つけものおけ》と同居して死んだ時、十本の指に十本、手首にも結びつけていた紐《ひも》がある。その紐はみんな寐床の下から出ていた。死体を棺に入れたら床の下からずるずると幾つもの巾着《きんちゃく》が引きずられて畳を這《は》った。貸金の証文、鍵《かぎ》類、お札のいれたの、銀貨の入れたの、銅貨の入れたの、穴のあいたビタ銭のまであった。大概のものは棺の中へ一所に入れて、現金は何処《どこ》へか寄附された。



底本:「旧聞日本橋」岩波文庫、岩波書店
   1983(昭和58)年8月16日第1刷発行
   2000(平成12)年8月17日第6刷発行
底本の親本:「旧聞日本橋」岡倉書房
   1935(昭和10)年刊行
※「老母よりの書信」は旧仮名遣いになっていますが、ルビにつきましては、岩波文庫編集部の方針「現代仮名づかいで振り仮名を付す」に従い「いずみちょう」としました。
入力:門田裕志
校正:小林繁雄
2003年7月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは
前へ 次へ
全10ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング