が袴《はかま》をはいて、三級選出区会議員を望んだのは尤《もっとも》な向上である。
 彼には妙な癖があった。「先生」とよぶと、ちょっとお耳を拝借と傍《そば》へいって、掌をひろげて扇がわりにして何かひそひそと囁《ささや》く。別段の用事でなくても誰にでもそうだが、ちょいと見にはいかにも腹心の者らしく見える。曾呂利新左衛門《そろりしんざえもん》を講釈から学んだのではないだろうが、その癖は母などをいやがらせた。
 そこの店にスリで有名になった仕立屋銀次がいた。そのころ、親方浜さんも大たぶさ、銀次も大たぶさだったかと、うろおぼえではあるが覚えている。銀次という職人は青い顔の、眼の横に長い、刀のような目附きの人だったと思う。祖母が言ったことがある、あの職人は、鼠小僧《ねずみこぞう》によく似ていると――鼠小僧は神田|和泉町《いずみちょう》にすんでいたが――区はちがっても和泉町は近かった――祖母はよく見て知っていたといった。引廻しの時も、前のうまやから馬が出て大通りを通ったが結城《ゆうき》の着物をきて薄化粧をしていたといった。



底本:「旧聞日本橋」岩波文庫、岩波書店
   1983(昭和58)年8
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