銭ばかり数えている者で人に嘲《あざけ》られていたが、ある事変が起って、人を助けなければならない時、日頃愛する金銭を、すこしもかえりみなかったので、前に罵《ののし》った者どもも讃《ほ》めたというところで質問した。割合金銭のことに興味を持つ――店の買物の代価を、客から受取って銭箱へ入れることや、売上げの勘定に馴《な》れている子たちも多かったので、話はよくきいていたが、なぜ褒《ほ》めたかという質問には答えが満足でなかった。先生はジリジリして褒めたくってたまらないのが褒められないので機嫌がわるくなりかかっていた。先生の底の方に光る眼が私の上にギョロリときたが、暫《しばら》くたゆたってから、
「ヤッちゃん。」
と指さした。子供は率直だ、あたしの家ではあまり金銭《おかね》の顔を見せない、あたしに金銭の貴さを知らせるには無理だった。だからこの場合、あたしはその武士がお金をならべて楽しむのは、あたしが姐様《あねさま》を飾るのとおなじ位にしか見えなかった。だから皆が考えかねているのが不思議でかえって自分の考えが間違ってるのかも知れないとさえおそれた。それでも言った、
「ふだんはお金が好きだが、人を助けるためには……」
 そこだ! と先生は飛上って卓《つくえ》を打った。堪えかねるほど待兼《まちか》ねた答を、予期しないアンポンタンから得たので、先生の褒めかたは気狂いじみてたほどだった。
「傑《えら》い、傑い。その武士も傑いが、ヤッちゃんも負《まけ》ずに傑いぞ。小錦関《こにしきぜき》だ、やがて日《ひ》の下《した》開山《かいさん》の小錦関だ。」
 小錦という力士は後に横綱になったが、まだそうならないうち、新進気鋭で売出しかけてでもいたのであろう。そういって褒《ほ》めあげた末に、人間は大将を望んでやっと兵卒位にしか出世をしないものだという事や、恐らく○○先生も世が世であれば大名を志望《こころざし》てお出《いで》だったであろうがなぞと、呆《あき》れ顔に佇《たたず》んでいた、例の助教師の方へ嫌味をふりかけて、そのくせ人の好い笑顔をむけたりするのだった。

 この教室の窓の格子のところへ、夏になるとお弁当をみんなが並べておいた。運動場へは台所口から出るのだった。台所には、みんなが持ってきてある小さい土瓶《どびん》が、せとものやのように幾段にも釘《くぎ》にかけてずらりと並んでいた。お午《ひる》になると
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