き》をついて、
「えらい女《ひと》をもらってしまって、あの女《ひと》のために西川屋もつぶれた。あの女の心がけがわるいからだが――」
 だが、奥女中姿の裲褂《かいどり》で嫁に来た時はうつくしかったと、不便がって貢《みつ》いでいた。
 ある日祖母は、例によって私をつれて、山の手の坂のある道を行った。富坂というところだと松さんは言った。露路へはいりながら、しどい場処《ところ》ですといって番地と表札をさがしたが、西川鉄五郎の家はどうしても知れないので空家《あきや》のような家で聞くと、細い細い声で返事をした。
「此処《ここ》でございます、此処でございます。」
 祖母は松さんに手をとられてはいっていった。畳もなければ根太《ねだ》も剥《は》いである。
「御|隠居《いんきょ》さん」
 戸棚を細目にあけてそう言ったのは、二、三日前の晩、袢纏《はんてん》を紐《ひも》でしばって着てきて、台所で叱られていた女だった。
「座るところはなくともよいから出ておいで。」
 祖母はそう言ったが、やがて、モゾモゾと半裸体の女が這《は》い出してきた。
「やれやれ、まあ!」
 呆《あき》れた祖母は、俥に乗せてきた包みを松さんに取りにやった。
「お前をそんなにして投《ほう》りだしておいて、鉄の人非人は何処《どこ》へいった。」
というと、褌《ふんどし》ひとつで戸棚から、
「面目も御座《ござ》いません。」
と這出してきた。そして、祖母が救いに来たのだと知ると、一昨日の晩、女が死ぬような病気で、どっと寝ておりますといったのは、二人《ふたり》ともすっかり忘れてしまって、裸でも元気な調子でともかくやりきれないという事を、子供のあたしにも面白くきかせるほど巧みにしゃべりたてた。
「よし、よし。貴様はのたれ死しようと勝手だが、女子《おなご》はそうはゆかぬ。」
 祖母がいるうちに、米屋からは米がはこばれ、炭屋からは炭がきた。松さんが運んだ包みから出た着物を女は着た。
 鉄さんは景気よく根太のつくろいをして、戸棚の中に敷いていた花莚《はなむしろ》をおき、松さんは膝掛《ひざか》けを敷いて祖母とあたしのいるところをつくった。
 こんな処へ来ても、人ぎらいをしない祖母は、てんやから食物《たべもの》をとって、みんなで会食した。酒が廻ると鉄さんは、どんなふうにして大屋をこまらせてやったとか、畳は売ってしまって、根太は薪《まき》のかわり
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