の赤いものに目がついて、しゃがんで二つ三つとった。お其はだまって見ていたが――たんばほおずきが幾個《いくつ》破られて捨られてもだまって見ていたが、そのまま帰りかけると、大きな声で、
「盗棒《どろぼう》、盗棒、盗棒――」
と喚《わめ》きだした。もとより、あたしもお其にかせいして、盗棒とどなった。
諸方《ほうぼう》から人が出て来たが盗棒はいなかった。するとお其はあたしに指さして、
「盗棒!」
と言った。幼心《おさなごころ》にはずかしさと、ほこらしさで、あたしもはにかみながら、
「盗棒!」
とおうむがえしに言った。みんなが笑った。あたしの祖母がお褄《つま》をとって来て、巾着《きんちゃく》からお金を払い、お其にもやった。八百屋の親たちはしきりにおじぎをした。
おせんべやの首振婆さんが私を抱えて帰った。お其も遊びについて来た。
間もなくべったら市《いち》の日が来て、昼間から赤い巾《きれ》をかけた小さな屋台店がならんだ。こんどはお其があたしの後について、肩上げをつまんで離れずにいた。祖母や女中が目を離すと、コチョコチョと人ごみにまぎれ込んで、屋台のものをつまむので、そのたびにお其はハラハラしたのだろう大きな声で祖母をよんだ。祖母はニコニコして後からお鳥目《ちょもく》を払って歩いて来た。
お其のうちは八百屋をやめて焼芋屋になった。店の大半、表へまで芋俵が積まれ、親父《おやじ》さんは三つ並べた四斗樽のあきで、ゴロゴロゴロゴロ、泥水の中の薩摩芋《さつまいも》を棒で掻廻《かきま》わした。大きな、素張《すば》らしく美事な焼芋で、質のよい品を売ったので大|繁昌《はんじょう》だった。三ツの大釜《おおがま》が間に合わないといった。近所が大店ばかりのところへ、遠くからまで買いにくるので、いつも人だかりがしていた。一軒のお茶受けにも、店の権助《ごんすけ》さんが、籠《かご》をもって来たり、大岡持ちをもってくるので、一釜位では一人の注文にも間にあわなかった。忙しい忙しいとお其はいって、鼻の横を黒くしていた。で私の遊び合手《あいて》は、私《あたし》をも釜前《かままえ》につれていった。冬などは、藁《わら》の上にすわって、遠火《とおび》に暖められていると非常に御機嫌になって、芋屋の子になってしまいたかった。だが、困ったことに家の構造が、角の土蔵なので、煙のはけばに弱らされていた。住居にしている二階の上《あが》り口《ぐち》へまっすぐに煙筒《えんとつ》をつけて、窓から外へ出すようにしてあった。だから、二階の梯子《はしご》はとりはらわれて、あたしたちの暖《あた》っている頭の上を、猿梯子《さるばしご》をかけて登ってゆく、物干場は、一度窓から出て、他家《よそ》の屋根に乗り、そして自分の家の大屋根にゆく仕かけだった。
「売れすぎて損をするって。」
とお其は告げて、あたしの父を笑わせていた。父の晩酌のお膳《ぜん》の前に座るのを、あたしより前《さき》にもった特権だとこの小娘は信じて疑わなかった。
お其が私を紹介した買物のはじめは、角の荒物店だった。足許《あしもと》の箒《ほうき》だの、頭の上からさがって来ているものを掻《か》きわけて、一間たらずの土間の隅につれてゆくと、並んでいる箱の硝子蓋《ガラスぶた》をとって中の駄菓子をとれと教えた。当《あて》ものをさせて、水絵《みずえ》――濡《ぬ》らしてはると、西洋画風の蝶や花が、刺青《ほりもの》のように腕や手の甲につくのを買わせた。で、彼女は一生懸命にお銭《ぜぜ》の必用《ひつよう》と、物品購買のことを説ききかせて、こういう細長い、まん中に穴のあいているのが天保銭《てんぽうせん》で、それに丸いので穴のあいてるのを一つつけると、赤く光った一銭銅貨とおんなじだと、繰《くり》かえしていった。でも、あたしにはあんまり必要がなかった。それよりも、お其の紹介で友達になった子たちが、自分の家《うち》の裏庭でとった、蝸牛《まいまいつぶろ》を焼いてたべさせたりするのを、気味がわるくてもよろこんだ。
この子供仲間は、男の子も女の子もみんな顔色がわるかった。どの子も大きな眼をして痩《や》せていた。小僧さんかお附きの女中がいるので、それらの眼をしのんで、こっそり集《あつま》るのを、どんなに楽しみにしていたか知れない。だから裏から裏と歩いた。村田――有名な化粧品問屋――の裏を歩くと、鬢附《びんつ》け油を練《ね》る香《にお》いで臭く、そこにいる蝸牛《まいまいつぶろ》もくさいと言った。鍛冶七《かじしち》――鍛冶もしていた鉄問屋――の裏には、猫婆《ねこばばあ》がいるということなど、いつの間にか大人《おとな》よりよく知ってしまった。
猫婆さんは真暗な吹鞘場《ふいごば》に――その家《うち》も大かた鍛冶屋ででもあったのであろう。大溝《おおどぶ》が邪魔をして通り抜けられない露路奥《ろじおく》になっていたので、そんな家のあることも、そんなお婆さんの生《いき》ていることも、ほんとに幾人しかしりはしなかった。ただ猫だけが知っていて、宿無し猫が無数に集ってきていた。いつもお婆さんの廻りは猫ばかりなので、猫ぎらいなあたしは、お婆さんの顔の輪格《りんかく》もはっきり見知らなかった。
「まだ生てるよ、顔だけあったもの。」
なぞと、覗《のぞ》いてきては子供たちはいった。
土のお団子《だんご》などをこしらえている時に、坊ちゃんの一人が目附《めっ》けだされて、連れかえられようものなら、その子は家《うち》へかえるのを牢獄《ろうごく》にでもおくられるように号泣した。残されるものもみんなさびしかった。なぜなら、帰ればその子におしおきが待っているからである。なぜ表へ出て、あんな子たちとお遊びなさいました――とそれはまた、各自《めいめい》の身の上ででもあるからなので――
あたしもよく引き摺《ず》ってゆかれて、お灸《きゅう》を据えられたり蔵の縁《えん》の下に投《ほう》りこまれたりした。そうした窮屈な育てられかたをするのはお店《たな》の坊ちゃん嬢ちゃんがたで、自由な町の子も多くあった。それがどんなに羨《うらや》ましかったろう。そしてその多くの町の子たちが遊びの指導者でもあったのだが、彼らはよく裏切りもした。あたしの祖母が、あたしの遊びに抜けだしたのを厳探中《げんたんちゅう》、その子たちの仲間の一人にお小遣いをくれると、あたしは直《す》ぐにつかまえられた。逃げでもすると、その子たちは追っかけ追い廻して、意地悪くとらえて祖母に突き出した。何《な》にがそんなに遊んではいけないのだろう? 遊んでいけないのより、許可《おゆるし》をうけず外へ出るから、それがいけない、では許可をうければゆるしたか? なんの、
「いけません、おとなしくお家《うち》でお遊びなさい。」
である。時たま家中の御機嫌のよい時外へ出して遊ばせてもらう。鬼ごっこ、子をとろ子とろ、雛《ひな》一丁おくれ、釜鬼《かまおに》、ここは何処《どこ》の細道《ほそみち》じゃ、かごめかごめ、瓢箪《ひょうたん》ぼっくりこ――そんなことをして遊ぶ。
子《こ》を奪《と》ろ子《こ》とろは、親になったものの帯につらなって大勢の子がいる。人とり鬼になったものが、どうにかして末の、尻尾《しっぽ》の方の子をとろうとするのである。親になったものは、両手をひろげてふせぐ、鬼は、あっちこっちと、両側を狙《ねら》って、長い列が右往左往すると、虚を狙って成功する――その時分、人|浚《さら》いが多くあって、あたしの従兄《いとこ》も夕方さらわれていったのを、父が木刀をもって駈《か》けていって、神田弁慶橋《かんだべんけいばし》で取りかえしたという話もあるので、そんな遊びもしたのであろう。夕方になると子供を外に出しておくのを危険とした。そんな事で、外出もやかましくいったのかも知れないが――
釜鬼は、塀や壁を後にして、土に半輪《はんわ》を描き、鬼が輪の中に番をしていて、みんな下駄を片っぽずつ奥の方へ並べておく。それをチンチンモガモガをしながら、輪の中へ取りにゆくのである。大挙して突進すると鬼が誰をつかまえようかと狼狽《あわて》る、それが附目《つけめ》なのである。下駄が一ツ二ツ残ると、それからが駈引《かけひ》きで面白く興じるのだ。
――瓢箪ぼっくりこ――つながってしゃがんで、両方に体を揺《ゆす》って歩みを進めて、あとの後《あと》の千次郎と、唱《うた》いながらよぶと、一番|後《うしろ》の子が、ヘエイと返事をして出てくる。問答がすむと、その子がこんどは先頭になるのだ。
雛《ひな》一丁おくれは、ずらりと子供を並べておいて、売手が一人、買手が一人、節をつけて唄い問答する――
[#ここから2字下げ]
ひな一丁おくれ、
どの雛目つけた。
この雛目つけた、いくらにまけた。
三両にまけた、なんで飯《まんま》くわす?
赤のまんまくわしょ。
魚《さかな》をやるか?
鯛魚《たいとと》くわしょ。
小骨がたあつ、
噛《か》んでくわしょ……
[#ここで字下げ終わり]
ここは何処《どこ》の細道じゃも唄《うた》うのだ。二人の鬼が手を組んで門をつくり袖を垂《た》れている。袖の後《うしろ》に一人の子が隠されている。訪ねてくるものが、まず唄って、鬼がこたえる。
[#ここから2字下げ]
ここは何処の細道じゃ/\
天神様《てんじんさま》の細道じゃ/\
ちっと通してくださんせ/\
御用のないもな通されぬ/\
天神様へ願かけに/\
通りゃんせ、通りゃんせ。行きはよいよい、帰りはこわい――
[#ここで字下げ終わり]
袖があがる、訪ねるものは通ってゆく。こんどは隠された子をつれてくぐりぬけるのに鬼どもはいやというほどなぐろうとする。そうさせまいと走りぬけるのだ。
底本:「旧聞日本橋」岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日第1刷発行
2000(平成12)年8月17日第6刷発行
底本の親本:「旧聞日本橋」岡倉書房
1935(昭和10)年刊行
入力:門田裕志
校正:小林繁雄
2003年4月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング