馬町大牢御用の馬屋が向側小伝馬町側にあった。この道筋だけが五町通して、本町石町から緑河岸《みどりがし》まで両側の大通りと平行していた。
 面白くもない場所吟味はやめよう。以下、私の記憶のままで、年月など、幾分前後したりするかも知れないが――
 しかし、アンポンタンの生活がはじまったのも、かなり成長してからの眼界も、結局この街の周囲だけにしか過ぎない。で、最も多く出てくる街の基点に大丸《だいまる》という名詞がある。これは丁度|現今《いま》三越呉服店を指さすように、その当時の日本橋文化、繁昌地《はんじょうち》中心点であったからでもあるが、通油町の向う側の角、大門通りを仲にはさんで四ツ辻に、毅然《きぜん》と聳《そび》えていた大土蔵造りの有名な呉服店だった。ある時、大伝馬町四丁目大丸呉服店所在地の地名が、通旅籠町と改名されたおり大丸に長年勤めていた忠実な権助《ごんすけ》が、主家の大事と町札を書直して罪せられたという、大騒動があったというほどその店は、町のシンボルになっていた。

 問屋町の裏側はしもたやで、というより殆《ほとん》ど塀《へい》と奥蔵《おくぐら》のつづき、ところどころ各家の非常口の
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