露路奥《ろじおく》になっていたので、そんな家のあることも、そんなお婆さんの生《いき》ていることも、ほんとに幾人しかしりはしなかった。ただ猫だけが知っていて、宿無し猫が無数に集ってきていた。いつもお婆さんの廻りは猫ばかりなので、猫ぎらいなあたしは、お婆さんの顔の輪格《りんかく》もはっきり見知らなかった。
「まだ生てるよ、顔だけあったもの。」
なぞと、覗《のぞ》いてきては子供たちはいった。
 土のお団子《だんご》などをこしらえている時に、坊ちゃんの一人が目附《めっ》けだされて、連れかえられようものなら、その子は家《うち》へかえるのを牢獄《ろうごく》にでもおくられるように号泣した。残されるものもみんなさびしかった。なぜなら、帰ればその子におしおきが待っているからである。なぜ表へ出て、あんな子たちとお遊びなさいました――とそれはまた、各自《めいめい》の身の上ででもあるからなので――
 あたしもよく引き摺《ず》ってゆかれて、お灸《きゅう》を据えられたり蔵の縁《えん》の下に投《ほう》りこまれたりした。そうした窮屈な育てられかたをするのはお店《たな》の坊ちゃん嬢ちゃんがたで、自由な町の子も多くあった
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