て木の戸があった。内には縄や筵《こも》が入れられてあったが、そのまた向う角が、立派な土蔵づくりの八百屋、後には冬は焼芋屋になり、夏には氷屋になった。その店の焼芋はすばらしく大きかったので、遠くからも買いに来た。他処《ほか》では見られないことは、この家、この店土蔵だけの住居で二階が住家《すみか》であり、小さな物干場へは窓から潜《くぐ》り出していた。芋屋の並びはほとんど金物問屋ばかり、火鉢ばかりの店もあれば金《かな》だらいや手水鉢《ちょうずばち》が主な店もあり、襖《ふすま》の引手《ひきて》やその他細かいものの上等品ばかりの店もあり、笹屋という刃物ばかりのとても大きな問屋もあった。銅、鉄物問屋はいうに及ばない。
 大門通りも大丸からさきの方は、長谷川町、富沢町と大呉服問屋、太物《ふともの》問屋が門並《かどなみ》だが、ここらにも西陣の帯地や、褂地《うちかけじ》などを扱う大店《おおだな》がある。
 荒物やの正面向う角が両替屋で、奇麗な暖簾《のれん》がかかっていて、黒ぬりの※[#「銀行」を表す「地図記号」の中に丸、屋号を示す記号、22−8]こういう看板に金字で両替と書いたのが下げてあった。そこの家はいつも格子がすっかりはまっていて、黒い前掛けをかけた、真中《まんなか》から分けた散髪の旦那《だんな》と、赤い手柄の細君がいる奇麗な小さな角店だった。その隣りが酒屋の物置と酒屋の店蔵で、そのさきが煙草《タバコ》問屋、煙管《キセル》の羅宇《ラオ》問屋、つづいて大丸へむかった角店の仏具屋の庭の塀と店蔵だった。
 あたしの家の真向こうに――三立社の尻《しり》にこの辺にはあるまじいほどささやかな、小さな小屋で首を振りながら、終日《いちにち》塩せんべを焼いているお婆さんがあった。その隣家《となり》はこんもりした植込みのある――泉水などもある庭をもった二階家で、丁度そこの塀を二塀ばかりきりとって神田上水の井戸があるのを、塩せんべ屋のお婆さんが井戸番をしているようなかたちだった。あたしの家の裏の井戸は玉川上水だった。
 その二階家は「炭勘」という名の――炭屋勘兵衛とでもいったのだろう。鼈甲細工屋《べっこうざいくや》のになっていたが、黒い三巾《みすじ》の垂れ暖簾《のれん》に※[#山のかたちの下に炭、屋号を示す記号、23−4]《いりやまずみ》の白ぬきのれんが、鼈甲屋とは思わせない入口だった。尤《もっと》
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