露路奥《ろじおく》になっていたので、そんな家のあることも、そんなお婆さんの生《いき》ていることも、ほんとに幾人しかしりはしなかった。ただ猫だけが知っていて、宿無し猫が無数に集ってきていた。いつもお婆さんの廻りは猫ばかりなので、猫ぎらいなあたしは、お婆さんの顔の輪格《りんかく》もはっきり見知らなかった。
「まだ生てるよ、顔だけあったもの。」
なぞと、覗《のぞ》いてきては子供たちはいった。
 土のお団子《だんご》などをこしらえている時に、坊ちゃんの一人が目附《めっ》けだされて、連れかえられようものなら、その子は家《うち》へかえるのを牢獄《ろうごく》にでもおくられるように号泣した。残されるものもみんなさびしかった。なぜなら、帰ればその子におしおきが待っているからである。なぜ表へ出て、あんな子たちとお遊びなさいました――とそれはまた、各自《めいめい》の身の上ででもあるからなので――
 あたしもよく引き摺《ず》ってゆかれて、お灸《きゅう》を据えられたり蔵の縁《えん》の下に投《ほう》りこまれたりした。そうした窮屈な育てられかたをするのはお店《たな》の坊ちゃん嬢ちゃんがたで、自由な町の子も多くあった。それがどんなに羨《うらや》ましかったろう。そしてその多くの町の子たちが遊びの指導者でもあったのだが、彼らはよく裏切りもした。あたしの祖母が、あたしの遊びに抜けだしたのを厳探中《げんたんちゅう》、その子たちの仲間の一人にお小遣いをくれると、あたしは直《す》ぐにつかまえられた。逃げでもすると、その子たちは追っかけ追い廻して、意地悪くとらえて祖母に突き出した。何《な》にがそんなに遊んではいけないのだろう? 遊んでいけないのより、許可《おゆるし》をうけず外へ出るから、それがいけない、では許可をうければゆるしたか? なんの、
「いけません、おとなしくお家《うち》でお遊びなさい。」
である。時たま家中の御機嫌のよい時外へ出して遊ばせてもらう。鬼ごっこ、子をとろ子とろ、雛《ひな》一丁おくれ、釜鬼《かまおに》、ここは何処《どこ》の細道《ほそみち》じゃ、かごめかごめ、瓢箪《ひょうたん》ぼっくりこ――そんなことをして遊ぶ。
 子《こ》を奪《と》ろ子《こ》とろは、親になったものの帯につらなって大勢の子がいる。人とり鬼になったものが、どうにかして末の、尻尾《しっぽ》の方の子をとろうとするのである。親になった
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