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一兩が花火|間《ま》もなき光かな
この人數船なればこそ凉かな
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と俳人寶井其角は元祿四年にその盛況をよみ殘しておいてくれてゐる。その當時の物價と金の價格を引きくらべたら、一兩はいまのいくらになるか知らないが、其角ほどの人がさう讀んだのは、一兩がかなり高價であつたと見ることが出來る。
江東一帶は工業地區となり、隅田川は機械油を流しうかべる現今こそ、金の集散は著しいであらうが、昔の大川筋に、物資の力と花火の發達なぞといふのはをかしいやうだが、武藏と下總の國境《くにざかひ》を、渡し舟が人を運んだ人煙稀薄《じんゑんきはく》な大昔《おほむかし》はとにかくとして、あれだけの橋が幾筋も出來上るには、かけなければならない交通と、物資のふくらみとがあつたわけだ。大川が大都會を貫く水路になつて、江戸の文明と密接な關係をもつてくると、有名な淺草海苔も、もうその時分から産物ではない。
隅田川本流大川に橋のかかつたのは、萬治三年の兩國橋――最初は大橋、または二洲橋――と名附けられ、對岸の深川、本所は(もとの名、永代島、牛島)とうに御府内に抱へこまれてゐて、橋
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