ともいへるが、青い/\海原が、青い/\水田になり、また青い/\波が打寄せるやうになるのではなく、こんどは、青いものなんか何ひとつない、眞黒い煤煙と、コンクリートになつて、以前は青いものを自然が示したが、後には青いのはそこに住む人間の顏といふことにならう。現在でも、千町田を目の前にして、田は赤く枯れ、人の面は憂ひに青ざめてゐるのだ。
 夕立や田をみめぐりの神ならば――と俳聖が干天《ひでり》に祈つた三圍《みめぐり》神社も、もう香夢洲《むかふじま》の名所でもなくなつてしまつた。
 だがまた、なんと夢のやうな世の中だつたのだらう、銀の吹きかへの、金の吹きかへのと幕政は押詰つて、江戸の主權は押倒されさうになつてゐる時、江戸人は、香夢《こうむ》を追つて、三百年泰平のくはへ楊子《やうじ》で[#「楊子《やうじ》で」は底本では「揚子《やうじ》で」]好い心地に船遊山などしてゐたのだ。もとよりそんな事の出來る少數人だが、隅田川流域文明は、さうした泰平人も籠《こ》めて押流されていつてしまつた。いまでも川風に青蚊帳を吹かせたりする家が、この川岸の兩岸にあらうけれど、人情はおなじでも、洗ひあげた江戸情緒とはおよそ
前へ 次へ
全5ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング