しようとする強い慾望を見る。畫よりも建設的である文學の方の人には、家のことなどかまつてゐられるか、その暇に讀み思索するといつた、めんどくさがりやが多いやうに思はれた。よき書齋は誰しもほしいと思ふが、本をたつぷりおけて、靜に、居心地がよければそれでよいといふていどで、好事家のすけないことである。
と、いつても、これは自分だけの推測で間違つてゐないとはいへない。もとより、國が大きくなるのに、昔通りに文人は――清廉は結構だが――貧乏であるのを看板にすることはないし、立派な書齋や家をもつ人が、多く出來る方がよいのはきまつてゐる。收入の當不當は別の問題で、畫人の中にだとて贅澤のいへるものは、幾人と數へられる人達であらう。
ふと、そんなことを思つたといふのも、去年「塔影」といふ繪の雜誌で、京都に建つ榊原紫峰氏の新築の、庭木や、石や、木口の好みの、思ふがままに、實に素晴しいものが、易易と、實に神業のやうにうまく調ひ、しかもその豪華さが、奧ゆかしいまで目立たずに、自然らしく、組みたてられてゆくやうな話に、わたくしは、自分のものでもないのに、自分のもの以上な、樂しみと悦びを感じて、未知な方ではあるが
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