長谷川時雨

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)諸方《はうぼ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大徳寺|塔中《たつちう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]――十三年六月・文藝春秋――

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
(例)それ/″\
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 ある日、婦人ばかりといつてよい招待の席で、小林一三氏が、吉屋信子さんの新築の家を絶讃された。
 ――私は、隨分澤山好い家を見てゐるが、その私が褒めるのだから、實際好い家なのだ。たいがいの家は、茶室好みか、もしくは待合式なのかだか、吉屋さんの家はいかにも女性の主人で外國の好いところも充分にとり入れてあると、いはれた。そして、そのよさのわかるものが、お仲間にはあるまいと――
 吉屋さんの隣りに、その座でたつた一人の、そのお仲間代表のわたくし、なでふ、褒めるにおいて人後におちんや、ではあるが、まだ見ぬ家のことなり、我等のグループとは違つた四邊の空氣なので、友達の家の褒められたことだけを甘受してゐた。
 家といへば、震災前までは東京の下町住宅には、よい好みの各階級、好きさまざまの良い家が澤山あつた。もとより洋風もとりいれてない、近代建築でないのは知れてゐるが、待合といふものの發展しない時代ではあり、賢實な市民の住宅で、しかも京阪風をも取り入れた、江戸といふサツパリしたところもある良い家が多かつた。根岸、深川、向嶋、日本橋の(濱町河岸)花屋敷、京橋、築地といつたふうに、それ/″\の好みがすこしづつ違つてゐたやうだつた。わたくしの父などでも、家の何處へか格子を一本入れようと思ふとき、散歩してくるのに、今日は花屋敷の方面のを諸方《はうぼ》見て來た、好いのがあるなあ、といつてゐたものだつた。
 それはさておき、わたくしの言ひたいのはそんな事などではないので、畫壇の人と文壇の人との住宅觀について、根本的異つたものを感じてゐたことであつた。わたくしは此處では、日本畫家のことを多くさしていつてゐるのであるが、仕事場を、おなじく家庭に持つ職業でありなながら[#「ありなながら」はママ]、畫家は、家の建築、庭石のおきかたまで自分の美術、自分の畫に描く趣味と個性を、思ふままに現し、樂しみ滿足
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