を描いてよこせばよしといふので、落葉を掻きのけると、地べただと思つたほど、平な大きな石、十二三尺もあらうかといふ理想的靴脱石をめつける。それよりさき立派な、黄手《きで》の鞍馬石をもらつてゐるのだが、それは、グツと埋《い》けこんで、中庭の玄關にでもまはさうとある。
 そこで、建築材料木材は、紀州熊野の奧から出て來る人が引きうけて、それほどの豫算では見る影もない借家建だと、はじめ、首をひねりはしたが、その人の腹づもりはすぐ出來てしまつて、木の國生れの人が、丹波に飛び、江州《おほみ》に行き、草鞋がけで山の杉の立木を買ふ。材木は揃つた、見に來ぬか、と行つてよこす時分には、大工がもう木組みをしてくれてゐる。
 この材木だけ見ても唯の家ではないといふ、それだけの木組みをして、豫算の金には手がついてゐないといふのは、山を買つて伐りだし、製材所で柱や板にした中からよい材をえらみ、あとは材木屋へ賣つて、よいものがただ手に殘つたのだとある。
 疊の敷いてある坪數より、板張りの方が廣い位の設計、廊下を澤山とつて、縁側を、廣いところでは一丈からあるといふ。悉くが、わたくしが夢に思つてゐるやうな家だ。
 木目のない、ハギのない、木理《きめ》の細かく通つた一枚板の、すつと通つた廊下。
 夕暮の色が、その上に漂よふとき、椋の葉はカラカラと風にさやぎ、一面の大きな平石は、うつすらと水を吹いてゐるであらう。その時、わたしは燈籠に灯の點るのを思ふ。民家でありながら、稀れに見る、すつきりと崇高な日本式の粹であると感じる。
 その渺々たる空想のなかに、美しき女《ひと》が、黄昏を蹈んでゆくその面影をさへ、踵をさへ思ひうかべるのであつた。
[#地付き]――十三年六月・文藝春秋――



底本:「隨筆 きもの」實業之日本社
   1939(昭和14)年10月20日発行
   1939(昭和14)年11月7日5版
初出:「文藝春秋」
   1938(昭和13)年6月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年1月18日作成
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