いつもならば、寢苦しがる家の戸が繰りあけられるに近い時刻なのだが、しつぽりと世間は寢しづまつてゐる。曉方《あけがた》になると、せまい家の中《なか》から、寢間着《ねまき》のまま出て來ては、電柱に恁りかかつて、うつらうつら眠る角《かど》の平家《ひらや》の少女も、蚊帳のなかに手足を伸ばしてゐるのだらう。
 空を見てゐる私も、頭はハツキリしてゐるのに、體がぐつたりしてしまつた。適當に病室の空氣を入れかへて、さつぱりして柱にもたれると、氣が遠くなつてゆくやうだつた。
 とろとろしたのだらう。私はハツと驚いた。
 ――忘れちやいやよ――
 と、ばかに元氣な蠻聲に耳を打たれた。窓の下からだ。吃驚りしてカーテンの下から覗くと、トラツクから肥桶《こえをけ》を積みおろしてゐる紫紺《しこん》の海水着を一着《いつちやく》におよんだ、飴色セルロイドぶちの、ロイド眼鏡をかけた近郊の兄《あん》ちやんが、いまや颯爽と肥桶運搬トラツクに跳び乘り、はんどるを握つて、も一度
「わ、すう、れえ、ちやあ、いやあ、よ――」
 と、奇聲をあげる瞬間だつた。流行歌謠だつたのだ。

 不思議なことに、このくひちがひ袋小路は晝間は平凡な、薄い人通りで、夜更けになると、ありのままの、好い人間たちが遠慮なく通つてゆく。
 ここへ、そんなことを思ひくらべたと書くのは、誠にをこがましいが、私は幾度か思つた。源氏が六條のほとりの、夕顏の宿《やど》に寢て、はしぢかにきこえてくる、物賣りの聲や、町人の話聲や、夜明けに隣家の下僕が嚔をするのや、唐臼《からうす》の音がとどろいてくるのや、螽※[#「虫+斯」、第3水準1−91−65]《こほろぎ》が枕上ちかく飛んでくるのを見るあたりの、あの心持や、その書きかたが心憎いほどにまざまざと浮びあがつてくるのだつた。
 大殿《おほいどの》の奧深くにばかりゐる、あの源氏といふ貴人《あてびと》は、どんなにか、つくろはぬ民《たみ》の聲に心をひかれたことだらう。普通人の生活といふものを、その女のところではじめて知つた、深い、消《け》せない思ひ出があればこそ、果敢《はか》なく果《は》てた、夕顏の宿の女も心にのこつて、いつまでもいつまでも消えなかつたのだ。その住居から來た特殊なうらづけが、他《ほか》の女とは異なつて心を牽くものだつたのだなと、思ひあたると、作者の用意ぶかさ、紫式部の偉さを思ふばかりだつた。
 
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