が旋律的に傳はつて、清新溌剌なリズムを織りなしてゐる。
 着てゐる人の感情が、しつくりと着物とついてゐると、それが若い女ばかりではなく、老婆《おばあさん》はおばあさんなりに着物も生きてゐる。きものも鳥の翼《はね》とおなじやうで、さうなると、ちつとも堅くはない。
 日本の着物の中老以上の女《ひと》――わたしもあゝなるかと思ふと、生きてゐるのが半分つまらなくなる。着物が惡いといふばかりではあるまいが、着物だけの好みからいつても、干物のやうな、燻製の品物のやうな見かけがする。それを脱けようとする女《ひと》がもくろんでゐるのは、いやに色つぽくあくどい。要するに、堅い上皮を黒く燻してしまつて、その上をいろどらうとするからをかしくなるのである。燻製の鮭やさんまに裝飾のほどこしやうはないが、男性と女性の區別をよく知つて、(おつくりの上からの事だけを斷つておく)もうちつと上手に取るべき道があつたらうにと思ふ。めかすやうで若いものに笑はれるからといふのは不正直だと思ふ。老女にもたしなみがある筈である。そぐはしい裝ひを知つてゐるものは、着ろといつたからとて二十《はたち》代の娘の振袖を[#「振袖を」は底本では「振柚を」]着はしない。島田にも結ひはしない。だが、死ぬまでも女は女である。燻製になつて、自ら鏡にむかふのも氣持の惡いやうな澁紙面《しぶかみづら》をつくるにも及ばない。若い女《ひと》だとて、やがては通り越してくる道である。昨日罵つた女の、しておいてくれたことを有難く感じる時がくる。
[#地から2字上げ]――大正十一年・週刊朝日――



底本:「隨筆 きもの」實業之日本社
   1939(昭和14)年10月20日発行
   1939(昭和14)年11月7日5版
初出:「週刊朝日」
   1922(大正11)年
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年1月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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