りが着たかのやうに――
よく思へば、八百屋の嫁御風情が、ふだん着にぞべらとしてゐたかどうかさへわからないのだが、お千代の、色の白い、ぽつてりとした、滴るやうな、女盛りの體に、紅の襟うらの透いた紺かたびらは、ほのぐらい店の隅の青物と、行燈の光りとに和して、なまめかしい匂ひがただよつてくる。堅油に艶をだした島田くづし、鼈甲の笄に白丈長《しろたけなが》――そこまでも見えてくると、彼女には、笑ふと絲切り齒が見えて、ちよいと片靨さへあつたやうに思はれる。柔かい肉附きにうるほひのある、夫半兵衞の目からばかりでなく、此世にはおいてゆきにくい手ざはりを感じさせる。姑の妬氣も、ただそれだけの感觸からだけでもあつたらうとうなづかされもする。
帶のしめかたを、堅くもなくゆるくもなく、崩れさうには見えずにコチコチ[#「コチコチ」に傍点]とさせず、褄もゆるやかでありながら、見る目はづかしいほどに蹴出しもせず、日傘を斜めにすらりと立つたかたびらの女、金魚鉢をかきまはさうとする乳のみ子を片手に仰向いて、話しかけながら鬢の櫛をさしこんでゐる女――かたびらは、古い風俗繪の大家が、好んで肩、胸、二の腕、腰の丸味を描き現し、あじあはせてゐる。
紀の國屋源之助が、ひつかけ帶の結びかたがやかましいといふことを聞いたのは、ずつと前のことである。もうかれこれ二十年も前のことであつたらうか、故左團次の夢の市兵衞の女房をした時の印象がぼんやりとうかんでくる。紀の國屋の衣裳かたの胸に針が光つたのを、誰かが咎めたときに、太夫が帶の結びかたがやかましいのでね、といつてゐたやうにおぼえてゐる。源之助のひつかけ[#「ひつかけ」に傍点]ほどよい恰好なのは見たことがない。男優ゆゑほんものの結びかたよりは、よほど長めでなければ、脊すがらとつろく[#「つろく」に傍点]しない。それがいかにも、解けもせずよい具合に結べてゐる。だらしない感じなぞをすこしも與へずに、いかにもきりりつとした、氣の利いた姿であつた。思へばあの後つきは、帶の結びかたひとつで色氣をもたせてゐたといつてもよいほどであつた。その後、多くのひつかけ[#「ひつかけ」に傍点]を舞臺の上で見るが、河合のも、喜多村のも、梅幸のもあれほどにはどうしてもゆかない。梅幸のは上品がつきまとひ、河合、喜多村のには、どうも水ぎはがたたない。それはよんどころないことかも知れない。上布
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング