ぶきがこないだけでもおしのぎになれませう。」
と止めた。さうはいつたが、自分は家の中にはいれなかつたほど、その女《ひと》が凄く美しかつたのだつた。黒い透屋《すきや》の着物、白はかたの帶、水色のえりうら[#「えりうら」に傍点]が見えてゐたが、無論素足で――
「一ツ目の辨天樣へおまゐりに來て――」
と女はまた笑つた。家の中を見廻して、歸る時に懷紙《くわいし》にくるんで金をおいていつたが、あんな凄い綺麗な女はないと、彼は老年になつても繰りかへしてゐた。
下町の好みは、髮をザングリと油でかためずに、ものものしく結ひあげない。櫛の齒も幾度もいれず、浴衣《ゆかた》の似合ふとりなりである。それだけに紋附きにはむかない。どうしても平民ごのみである。
着物が地味だから半襟と前かけの紐がきはだつた。朱塗りの櫛が効果のあるやうに、簪もあんまり大きいのは※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]さない。いてふがへしの黒髮が、黒じゆすの着物の襟に流れていつて、秩父絹の裾裏の褄さきに走る。綺麗に洗つた足の指が、青竹色の吾妻下駄の鼻緒に揃つて、小砂利を輕く蹴かへす――肩には日傘、三ツ杵の白ぬき、または三ツ柏や瓢箪の染めてある稽古本入れのつばくろぐちをかかへてゐる。(つばくろぐちは稽古本を入れる袋)
いま隣室《となり》の「女人藝術」編輯室には、いつものみんなの外に珍らしいお客さんたちも見えて、襖一重むかうでは、將來の女人としてのさま/″\な希望が机の上に、人の口に盛んである。そのとなりではかうして、一時代も二時代も前の、一地方的な、東京下町の娘のことをあたしは思ひ出さうとしてゐる。このあわただしい氣持ちで何が思ひだせよう。
[#地から1字上げ]――昭和四年十月・サンデー――
底本:「隨筆 きもの」實業之日本社
1939(昭和14)年10月20日発行
1939(昭和14)年11月7日5版
初出:「サンデー」
1929(昭和4)年10月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年1月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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