美しいお鯉――わたしは手箱に秘めてあったものが、ほどへて開いて見たおりに、色も褪《あせ》ずにそのままあったように、安心と、悦びと、満足の軽い吐息が出るのを知った。
お鯉さんは朝のままで、髪も結いたてではなかった。別段おめかしもしていなかった。無地の、藍紫《あいむらさき》を加味したちりめんの半襟に、縞のふだん着らしいお召と、小紋に染めたような、去年から今年の春へかけて流行《はや》ったお召の羽織で、いったいに黒ずんだ地味なつくりであった。
かわらないのは眉から額、富士額の生際《はえぎわ》へかけて、あの人の持つ麗々しい気品のある、そして横顔の可愛らしさ、わたしは訪ねて来て、近々と見ることの甲斐《かい》のあったのをよろこんだ。
それに、わたしの目をひいたのは第一に束髪であった。かつてわたしが、束髪のお鯉を見たときは安藤てる子さんとして紹介されたので、桂公爵に仕え麻布に住んでいたおりのことであった。
思出はさまざまに、あとからあとからと浮みあがってくる、その折お鯉は何事も思うままで、世の憂きことなどは知ろうようもないと思われた時代である。花の三月、日本橋|倶楽部《クラブ》で催された竹柏
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