星のような瞳《ひとみ》が輝き、懐《なつか》しいまたたきを見せる。唇《くちびる》と、眼とに、無限の愛敬《あいきょう》を湛《たた》えて、黒いろ絽《ろ》の、無地の夏コートを着て、ゆかしい印象を残してその女は去った。
「ほんとにあの女《ひと》は、良《い》い人間すぎてね」
それは誰れやらの老女の歎息であった。
一世お鯉――それは桂《かつら》さんのお鯉さんと呼ばれた。二世お鯉――それも姐《ねえ》さんの果報に負けず西園寺《さいおんじ》さんのお鯉さんと呼ばれた。照近江《てるおうみ》のお鯉という名は、時の宰相の寵姫《おもいもの》となる芽出度《めでた》き、出世登竜門の護符《ごふう》のようにあがめられた。登り鯉とか、出世の滝登りとか、勢いのいいためしに引く名ではあるが、二代|揃《そろ》っての晴れ業《わざ》は、新橋に名妓は多くとも、かつてなき目覚《めざま》しいこととされた。
照近江のお鯉――あの、華やかに、明るく、物思いもなげな美しかった女が、あの切髪姿の、しおらしい女人《ひと》かと思いめぐらすときに、あまりに違った有様に、もしや違った人の頁《ページ》を繰って見たのではないかという審《いぶか》しみさえも添った。
わたしの心に記憶する頁――それには絵もある。またおぼえ書きもある。みんな岡目《おかめ》から見たもの聞いたものにすぎないが、わたしはその人自身から聞くよりさきに、その覚え書きも持出して見ようとしている。
奠都《てんと》三十年祭が、全市こぞって盛典として執行されたおり、種々の余興が各区競って盛大に催された。とりわけ花柳界の気組《きぐみ》は華々しかった。世はよし、時は桜の春三月なり、聖天子|万機《ばんき》の朝政を臠《みそなわ》すによしとて、都とさだめたもうて三十年、国威は日に日に伸びる悦賀《よろこび》をもうし、万民鼓腹して、聖代を寿《ことほ》ぐ喜悦《たのしみ》を、公《おおやけ》にも、しろしめせとばかり、あるほどの智恵嚢《ちえぶくろ》を絞り趣向して、提灯《ちょうちん》と、飾物《かざりもの》と、旗と幔幕《まんまく》と、人は花の巷《ちまた》を練り歩くのであった。ことにそのなかに、面白き思附き、興ある見物《みもの》として大名行列があった。それは旧大名の禄高《ろくだか》多く、格式ある家柄の参覲交代《さんきんこうたい》の道中行列にならい、奥向の行列もつくったのであった。衣裳《いしょう》
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