そばの、草川《くさかわ》のほとりの仮住みの別荘へ、
「あんた、油断してはならへんがな。」
と注進するものがあって、風波が立ちかけたことがある。
「あんた、先度《せんど》お出《いで》やはった時に、わてに口かけときなさりながら、島原《しまばら》の太夫《たゆう》さん落籍おさせやしたやないか。いえ、知っとります、横浜へ、あんたさんの後追いかけて、その太夫さんがお出《いで》やしたことも。よう知ってますがな。」
と、やかましいことになったのだった。まだ、お雪の話が纏《まと》まらないうちに、島原遊廓の、小林楼の雛窓太夫《ひなまどだゆう》を、モルガンが、内密で、五百円で親元《おやもと》根引《ねび》きにさせたことを持出して、お雪はその時のことも、本当だろうと気にしたのだ。
 一年ぶりで、花の春の、母国へ訪ずれて来たお雪は、知る人も知らぬ人も、着物も、匂いも、言葉も、懐《なつか》しかったので、忙《せわ》しなく接していた。恰度《ちょうど》日本は、露国との戦争に、連戦連勝の春だったので、草川の家の軒にも、日米の国旗を掲げて、二人は賑《にぎや》かな心持ちでいた。
 折もおり、丸山公園の夜桜も盛りであったし、時局
前へ 次へ
全41ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング